「農民」記事データベース20181008-1330-08

ふるさと
よもやま話

長崎県農民連会長
荒木弘光


雲仙岳のふもとで
農業の行く末を考える

 わがふるさと、長崎県南島原市は、長崎県でありながら、熊本県に近く、早崎海峡の向こう側は、熊本県天草市である。天気のよいときは、対岸の家並みがはっきりと見え、道路を走る車も見えるほどの近さである。

 一方、県庁所在地である長崎市は車で2時間はかかる。関東・関西に出かけるときは、2時間10分ほどかけて空港に着くが、空港からは飛行機で大阪まで40分、東京まで60分の所要時間で済む。このように交通の便が悪いので、私は「陸の孤島」と言っている。

 島原半島の中央には、「平成新山」がそびえる。これは平成2年に1359メートルの雲仙岳が200年ぶりに噴火し、できたものだ。翌年6月の大火砕流は、43人の死者・行方不明者を出した。噴火が落ち着くまで5年くらいかかり、その間山は成長を続け、もとの普賢岳より140メートルくらい高くなったのが、「平成新山」で1483メートルである。

 全県的に島や入り江が多く、農業をやってゆくのにも、広々とした他県とは違う発展をしてきている。

 畑の法面は石垣
 先祖から守られ

 他県からの訪問者があったとき、近隣の畑地を案内することが多いが、みなさんは異口同音に畑の石垣のことを聞かれる。山肌を整地してつくられた畑は法(のり)面を土でなく、石積みをしてつくられている。その石垣の広さは、目を見張るほどで美しくもある。なぜ、労力と金をかけて石垣を築いたのか、理由はいくつかあるが、法面のあそびがもったいないと百姓達は言う。

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美田として受け継がれてきた石垣

 雲仙岳の他、小さな山々でできている半島だから農地が少ないこともあったろうし、開墾すれば段々畑しかできないのが実情だ。雨が降れば肥よくな土は低いところに流れるので、それを防ぐためでもあった。

 石垣の畑は、先祖の美田として受け継がれ、長年守られてきた。石垣を上手に積む人は周りの農家から高く評価された。

 昔の農業は人手
 現代は機械と油

 島原半島は他に産業もなく、農業が基幹的な産業なのだが、狭い農地は人手がかかり、重労働なので時代の流れは、都会へと若者を引きつけていった。それでも個々の農家に「後継ぎ」が残り、農業を守っている。

 近年、輸入農産物が増え、その作物も価格が低迷している。昔の農業は人手が主であったが、現代は機械と油が主であるため、出費が多い。この状況が進んでいくならば、破産を余儀なくされる農家が多く出るのではないかと危惧している。

 貧しいがゆえに、発生した歴史に残る社会現象「原城一揆」や、小さな港、口之津港から出航する石炭船の船底で南方に働きに行った「から行き」さんの話は次回に譲ろう。

(新聞「農民」2018.10.8付)
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2018年10月

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