ナチス・ドイツの大量虐殺の跡
アウシュヴィッツ強制収容所を訪ねて
福島・郡山地方農民連 菊地穂奈美
7月2〜8日、ドイツにバイオガス発電の視察と、その隣国ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所跡地を訪問しました。このような貴重な機会を得ることができ、福島・郡山地方農民連会員の皆さんをはじめ、たくさんの皆さんにお礼申し上げます。バイオガスの報告は別の機会に譲り、今回はアウシュビッツの訪問記を書きたいと思います。
人間を人間として扱わない
まるで物のように道具のように
連行後すぐに殺害
アウシュヴィッツは1940年にドイツ占領下のポーランドにナチス・ドイツが建設した強制収容所。当初は政治犯や社会運動家などナチスに反する人々の刑務所を拡大する、という目的だったが、1942年からユダヤ人大量虐殺の場となっていく。1945年、ソ連によって解放されるまでに130万人を連行、うち110万人がユダヤ人で約90万人を連行後すぐに殺害したそうだ。
アウシュヴィッツは第1収容所、3キロほど離れた第2収容所ビルケナウ、そして6キロメートルほど離れた第3収容所モノヴィッツの3カ所で構成されており、現在の第1、第2収容所跡地が見学できる。
第1収容所はもともと軍の施設で、建物はしっかりしていて当時のまま残っている。人々は「移住」だとだまされて連れてこられた。持参した日用品や服や履いていた靴まで没収され、女性は髪を切られた。そして支給された粗末な服と靴、水のようなスープとひとかけらのパンが一日の食糧の全て。ガス室や集団絞首刑台、無作為に選んだ人々をも銃殺した死の壁。人間を人間として扱わない、というより、もはや生命として扱わない。まるで物のように、道具のように。
|
第1収容所。「働けば自由になる」とある |
ナチスはソ連が迫る中、多くの証拠隠滅を行った。つまり非人道的な犯罪であると認識していたのだ。それでも、歯車のように人を殺していったのか。戦争の狂気なのか。飢え、寒さ、衰弱、感染症、処刑、人体実験、ガス室での大量虐殺…名前も残らないほど多くの人々が犠牲となった。
証拠隠滅のため破壊
第2収容所ビルケナウは第1収容所とは全く雰囲気が違う。広大な敷地には建物の跡やガス室の跡が残る。証拠隠滅のため破壊された跡だ。収容所の外から中にまっすぐに伸びる線路。人々は窓もない貨車にすし詰めにされ、長い長い距離を移動させられてきた。貨車から降りると選別され、労働不能とされた人々――女性や子ども、障害のある人を含め、長い距離を移動してくるため衰弱した人々は大部分が、その日のうちにガス室に送られた。
|
破壊されたガス室の跡。保存が難しくなってきているそう |
1944年春、線路は延長され、ガス室までまっすぐに続くようになる。本当に、人を殺すためだけの場所なんだと思った。効率的に多くの人を殺害できるように改良していくなんて。70数年前、この場所に立った人が何人も何万人もいたのだろう。この景色を見たのだろう。そして、苦しんで亡くなっていったのか。
ホロコースト――「絶滅計画」。めまいがする。だけど空はどこまでも晴れていて惨劇の跡地が目に焼き付く。吐き気もする。なのに乾いた風に現実の味はない。言葉は出ない、どんな言葉にすればいいのかわからない。ひどいとか悲しいとか、そんな次元で感じられない。伝えたいことはたくさんあるけど筆舌に尽くしがたい。
|
収容施設の内部 |
人間にこんなことができるはずがない、できるはずがないのに――そう思わずにはいられない。だけど人間が歩いてきた道で、それは日本だってそうだろう? そして今は違うとどうして言い切れる?
僕は戦争を知る努力をやめない
伝えていかなければいけない
憲法前文が好きだ
僕は戦争を知らないけれど、知ろうとする努力をやめない。見て、触れて、聞いたことに、机上の言葉はかなわないと思っている。見て触れて聞くたびに、繰り返してはいけない、そのために忘れてはいけない、伝えていかなければいけないと思う。本当に、それに尽きる。8月、日本中がそれを再認識するはずだ。
恒久の平和を念願する、という憲法前文の言葉が好きだ。平和と農業は国の礎。平和でこそ農業もできる。今年の米もおいしいに違いない。
(新聞「農民」2018.8.27付)
|