ふるさと
よもやま話
石川農民連会長
宮岸美則
「百姓のもちたる国」のお話
今から500年以上も前、足利氏が将軍の時代の話です。
「寄り合い」で物事を決める
加賀の国(現在の石川県加賀地方)では、百姓衆と坊主衆と年寄衆が、一揆に立ち上がり、時の守護を打ち破り、勝利した各郡をまとめ、村々で百姓たちが寄り合いで物事を決めていくようになりました。
加賀の国は、浄土真宗の信仰が厚くたくさんの信者がおり、「蓮如」が「百姓のもちたる国」と名付けたようで、それから100年もの間百姓中心となって政治が続きました。
時は流れ織田信長が全国制覇をめざして、各地でのたたかいを起こし、本願寺門徒宗を攻めて北陸に攻め込んできました。織田信長勢の柴田勝家、佐久間守政らの軍勢によって加賀に攻め込まれ、鳥越村鳥越城(現在白山市)での最後のたたかいに敗れ「百姓のもちたる国」は滅ぼされました。
その後は前田利家が領主となり徳川時代には加賀百万石と言われる大名となりました。
白山を源流とし田畑潤す手取川
石川県加賀平野は、白山山系の山々から大小の川が流れ、豊かな扇状地帯を作り、米づくり中心の農業が行われています。今から500年以上も前でそんなに米が取れるとれるわけではないけれど、百姓が生活を支えていけるぐらい豊かであったのではないかと、想像できます。
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5月14日に行われた田植え交流会。右が宮岸さん |
私が米づくりをする加賀平野は、白山を源流とする手取川が作り出す豊かな水が、田畑を潤してくれています。
手取川は、急流で暴れ川のため洪水とはんらんを繰り返してきました。加賀平野全域に安定した水の確保は、長い年月をかけたたたかいでした。
農家の高齢化と農業人口の減少
明治時代に入り、手取川本流から下流へ用水を取り入れる整備事業が本格的に始まりました。本流の淵にトンネルを掘り、取り入れ口を作り、本流に堰(せき)を作り用水路に水がスムーズに流れるように整備する100年の年月をかけた大事業です。
これは、争いなく田んぼにあてる水がほしいとの百姓の思いが伝えられてきたことが、願いがかなった一つかなと思います。
今は、上流に二つのダムができたので、洪水対策と水管理調整ができるようにはなりました。しかし最近の全国で起きている集中豪雨の状況をみると、どこでも起きる災害として教訓として常に意識しておかなければならないことだと思います。
農家の高齢化と、農業をする人口が減り続けている現状をみていると、政府の進める大規模化・効率化では、農業の基盤が崩壊することになってしまいます。
「農は、国の礎」と言われます。持続可能な社会は、家族農業を守ること。小さな作りの農家ながらがんばり続けます。
(新聞「農民」2018.7.16付)
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