「農民」記事データベース20180702-1317-11

ふるさと
よもやま話

茨城農民連会長
岡野 忠


協同化での近代化を模索した
上野満協同農場が問うものは

 15戸で農畜複合経営、機械化推進

 私の住む茨城県稲敷市は霞ケ浦と利根川にはさまれた地域で、江戸崎町・桜川村・東町・新利根町が合併して稲敷市となった。中央を新利根川が流域の水田を潤し霞ケ浦へと流れ込んでいる。

 旧東町の新利根川流域に、故上野満氏が14人の若者と、昭和22年11月、民主主義・経済的自立・自由を理想とする平須協同農場を設立し注目を浴びた。31年設立の新利根協同農学塾には全国から多くの人が研修に訪れたという。

 上野満氏は明治40年に福岡県に生まれ、武者小路実篤の新しき村入村、埼玉県の武蔵が原で第1次協同農場を創設、満州開拓扶桑義勇隊開拓団長として第2次協同化による農村建設を試みるも敗戦、シベリア抑留後22年6月復員という経歴の人である。

 戦後の農地改革の1〜2ヘクタールの自作農ではなく、協同化による合理化近代化を求めてきた。3つの5戸組協同農業15戸を組み合わせ、農産と畜産(牛・豚)の複合経営を進めれば機械化による労力削減と農地の高度利用で3倍以上の生産が可能であると考えた。

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創立者らの協同慰霊碑(稲敷市)

 2億2千万円の生産額を達成

 農地改革直後において30ヘクタールものまとまった土地を求めるには国・県や村から見捨てられた土地を探すほかはなく、国有沼沢地の中、新利根川に接した平須地区の大湿原の一角に用地を求め、協同の3原則のもと、理想とする村づくりのスタートを切った。一雨降れば全農地が湖水化するような低地に排水路を掘り、外部からの水の侵入を防ぐため堤防をめぐらし、排水工事をしなければ農地にならないところであった。そして自分たちで測量し、農地と住宅地の設計配分をきめた。大型機械を駆使できるまでに15年を要したという。

 第3次協同農場設立以来30年近く、昭和50年ころには労働分担による農業経営を完成し、1日8時間週休1日の労働で一戸当たり1500万円、15戸で2億2千万円の生産額を達成し、協同農場には1億円を超える資本蓄積ができたという。

 しかし、戦後の日本農業の政策指導権を握っている人たちの農協運動への無理解から、約30年にして世代交代とともに経営形態の変更を余儀なくされたという。

 最後に上野満氏は「精神的・時間的余裕のない働くだけの個人経営に未来はあるだろうか、人間としての発展と自由な生活はできるだろうか」と疑問を投げかけている。

 現在3代目の方が新利根協同農学塾農場で放牧酪農を営んでいる。その一角で放牧ミルクに魅(み)せられた若者がチーズ工房を開業した。

(新聞「農民」2018.7.2付)
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2018年7月

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