ふるさと
よもやま話
高知県農民連会長
土居篤男
“食べる”から「食育」へ
自校方式の給食 教室に炊飯器 ご飯あたたかく
私が住む高知県南国市の学校給食は、日本で最も進んだ給食だろうと思う。南国市の現在の状況は、平成15年度から週5回、自校炊飯でしかも教室ごとの炊飯器で炊く方法である。
センター方式は、数あると思われるが、教室の数の炊飯器はめったにないのでは。しかも、食材の生産地は、まず市内産、ついで県内産、そして国内産の順である。外国産を使うのはバナナのみである。
なぜこうした水準にまで高まったのか。少し振り返ってみると、平成8年頃までは週5回の給食で、米飯が3回、パンが2回であった。しかも使用する米が政府の備蓄米ときている。その上、センター方式だから、各学校で、ご飯をよそう時分には冷めきっているので、必然的に食べ残しが多かった。
身の回りには、新鮮な食材、できたての食料が満ちあふれている時代である。残食率が高かったのは当然ではないだろうか。
当時、農業委員会では、地場産米を学校給食に使用する意味を議論するなかで、市の北部でとれる米を使うことが、市の中山間地対策や農業振興などにさまざまな効果をもたらすことに注目した。山間地の米の収穫は東北地方の米の収穫時期と重なり、販売しづらいことから、中山間の棚田の米を給食に使用することで地域の活性化や農業振興に貢献できるのではないかと提言された。
学校の周りでとれる米を食べる
教育長も、秋には校門の前に黄金色に輝き広がるお米を「給食に」と考え、そのことが大きな原動力になった。平成11年には、市の教育指標の一つに「食育」を掲げた。この「食育」という言葉が広がり、今に至っており、当時の小泉首相をしてこれからは、「知育・徳育・体育」に加え「食育」も教育の一つであると言わしめたと聞いている。
また、棚田での田植えには、地元の住民はもとより市内の小学校からも順番に参加してもらっており、主食生産に触れる学習の一環として定着している。
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親子で田植え(JA南国市提供) |
米国余剰農産物からの独立
私が小学校の時代にご飯の給食が始まった記憶があるが、ご飯の味までは覚えておらず、確かアメリカの余剰農産物の脱脂粉乳が出され、アメリカ産小麦で焼いた四角い食パンを浸して食べたことを覚えている。60年間もパンの給食が続いたとは驚きである。
今になり、ようやく日本のお米と日本の大地からとれるものを中心に、学校給食の充実が図られるようになった。少なくとも学校給食においては、ようやく敗戦国から独立・自立を成し遂げつつあるのではないだろうか。
(新聞「農民」2018.6.4付)
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