ふるさとよもやま話
千葉県農民連会長
大木 〓一郎※1
椿海から現代の鬼を追い出す
今は美田の椿海
江戸時代に開田
「四方山(よもやま)話」、でも私の住む千葉県北東部(匝瑳(そうさ)市)には四方八方見渡しても山らしき山はありません。特に私の住む「椿海(つばきのうみ)」はその名の通り昔は海で、平坦な「干潟八万石」と称される美田が広がっています。南方は太平洋に面し、九十九里海岸に波が絶え間なく押し寄せ、すぐ北方は「まんが日本昔ばなし」にもある伝説の地です。
昔、樹齢88万80年の椿の巨木がそびえていましたが、いつしか椿の巨木に鬼の魔王が住み着きました。近くの神々と住民は力を合わせて魔王を追い出し、椿の木を引き抜き、その跡に水がたまり、「椿海」と呼ばれるようになったと伝えられています。
実際には、入り江があり、銚子の犬吠埼方面からの砂州の形成で出口がふさがれてできた湖でした。縄文時代の頃から、漁業、水上交通が活発でした。
江戸時代に入り、江戸の人々の食料確保の必要から鉄牛和尚など多くの先人が幕府に請願し、巨額な資金と犠牲を費やして新田開発が行われました。それには近隣の農家、住民のたたかいもありました。こうして、私の住む「椿海(ちんかい)村」など18カ村が生まれました。しかし水害が多発し、下流は渇水で悩まされました。
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水田が広がる椿海 |
かつては超湿田
基盤整備で解消
私が就農したころは超湿田でひざも見えなくなるほどで、田船で稲を運び、大変な農作業でした。「椿海」の名の通り、長雨となると稲穂が水に浸り、芽が出たり、日照りが続くと塩が白く噴き出てきて、収量が激減したりしました。
当時は赤トンボ、蛍が乱舞し、川にはフナ、雷魚、ドジョウ、ウナギ、ザリガニなどが生息していました。その後、耕地整理が進み、大規模化で作業の機械化、多肥・農薬散布で生物が消えかかっています。
今、更なる基盤整備が進行し、用水・排水が改善され、湿田も解消し、便利になっています。
この地の進取の伝統受け継いで
しかし、現代の鬼、魔王の悪行、暴走によって地域は崩壊の危機に直面しています。多国籍企業の利益に沿った世界に類のない農産物の自由化によって食料自給率は異常な低さです。
美田の「椿海」は生産費に合わない低米価、高い農機具、離農、人口急減、高い未婚率、耕作放棄地の増大など、苦悩に満ちあふれています。
この地域には、南には幕末時代に農漁民の救済に決起した「真忠組」、北には世界で最初の協同組合を設立、幕府の弾圧で自害した「大原幽学」らがいました。
世界の流れ、家族農業が危機にたつ日本、農村地域の再生のため、この地の進取の伝統を受けついてゆきたい。
※1〓は「にんべん」+「専」
(新聞「農民」2018.2.12付)
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