福島県農民連
ウクライナ視察ツアー
原発事故後31年
チェルノブイリは今
郡山地方農民連
菊地 穂奈美
真相隠され森に飲み込まれ
福島県農民連では9月22日〜28日、独協医科大学の木村真三先生のコーディネートでウクライナ視察ツアーを行った。
チェルノブイリ原発事故から31年。チェルノブイリの今は30年後の福島なのか。参加者それぞれにそれぞれの思いを持って参加したと思う。私はこれからの福島の30年を考えるきっかけになればと思っていた。ウクライナの首都キエフから立ち入り禁止区域チェルノブイリ原発周辺、事故時の高濃度汚染が隠された地区などを訪問した。
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森に飲み込まれた廃村や、ドーム型の新石棺に覆われた原発。31年たった今でも放射線量は高く、事故当時の混乱や恐怖を思う。放射性物質には色もにおいもないんだけど、滅びのにおいがする。
原発から8キロメートル程の森のなか、高さ150メートル、長800メートルの巨大な鉄骨が現れた。冷戦時代のレーダーだ! ミサイル感知のための軍事施設で、チェルノブイリ原発で発電された電気の10%を使っていた。ここを「チェルノブイリ2」と呼ぶそうだ。軍事施設のために原発をつくったのか、原発があったから軍事施設をつくったのか。その真相も隠され、森に飲み込まれて、見えなくなっていた。原発と軍事は表裏一体。原発は潜在的に「核兵器」を持つということだ。電気を生み出す前提として原発は間違っている。
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森の中にいきなり現れたレーダー。チェルノブイリ2 |
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子どものころ被災・避難し、甲状腺がんの手術を受けた女性は、自分の息子にも甲状腺の異常があると話してくれた。「被災していない人は事故を忘れていくスピードが速いだろう。でも私と私の家族は絶対に忘れない」
原発事故の被害は十人十色
福島はこれからもたたかえる
原発から半径30キロメートルの居住禁止区域に住む「サマショール(自発的帰村者)」のお婆ちゃんは、「避難先には居場所がなかった。私はここがいい」と話す。私たちを門の外まで見送ってくれたマリアさんは、今では村にたった一人だ。ふと振り返ると、落ち葉が舞う小道の向こう、マリアさんは涙をぬぐっていた。故郷で生きることを選んだ彼らを私は生涯、忘れないだろう。
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帰りたい人、帰らない人、避難した人、避難したいのにできない人、福島に残った人…。どれも決して否定できない選択だ。人間の尊厳を改めて考える。
原発事故には十人十色の被害がある。国・東電に責任を認めさせ、すべての被害の救済を求めたい。社会的にも、政治的にも、そして法的にも徹底的に事故を検証するべきで、チェルノブイリのように隠されて、森に飲み込まれて終わりになんてさせない。福島はこれからもたたかえる。犠牲者では終われない。
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キエフにて、避難者互助会の皆さんと。左から5人目が菊地さん |
仲間が要(い)る。続いていく組織が要る。手を差し出すから、きっと握り返してくれ。そんで30年後の僕らと、僕らに続く人へ。いつか未来、世界中から核の被害に苦しむ人がいなくなるように。
(新聞「農民」2017.12.11付)
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