「ごはん」
米づくりを描いた映画
監督の安田淳一さんに聞く
美しい農村風景は毎年の耕作のたまもの
“百姓の誇り”伝えたい
東京でOLをしていた主人公が父親の急死によって米作りを引き継ぐ―米作りを描いた映画「ごはん」を作成したのは安田淳一監督(50)です。京都府連の安田豊会長の息子で、普段は町のビデオ屋さんとして、イベントの撮影や演出などを手掛けています。安田監督が自主製作映画の2作品目のテーマに選んだのは米作りでした。
脚本、撮影、編集 1人で何役も
「当初は短編を撮るつもり」で撮影を始めた安田監督ですが、「毎日ごはんを食べているのに、米作りにはこんなにも知らないことがある」と気づき、構想がどんどん膨らんでいきました。
「田んぼは毎年耕作することでしか維持されない。いま、田園風景が残っているのは農家が何百年にもわたって耕作を続けてきたから。この事実を伝えたい」との監督の思いが、長編へと発展していきました。
脚本から始まり、監督と撮影、編集までを一人で行う安田監督。それぞれの立場で何をめざしたのでしょうか。「監督としては米作りの一部始終をしっかり伝えながら、娯楽作品としても成立させること」「カメラマンとしては最も美しく田んぼを撮りたい」
「農家の息子としては、農家であることの誇りを伝えたい。かつて武士の時代と言われていた頃も、8割は農民だった。時代を動かしたのは確かに武士かもしれないが、歯を苦しばって地域を守ってきたのは百姓なのだから、百姓であることをもっと誇りに思ってほしいと思います」と語ります。
「米を作るにはこれだけの手間暇がかかっていることを多くの人に伝えたい」とも語った安田監督。「ハリウッドなどでは荒唐無稽なシナリオにコンピューターグラフィックス(CG)を駆使して何とかリアリティーを持たせ、ヒーローを成立させています。自分はそうではないやり方を追求したい。大手に負けない作品を撮るためには、妥協しないことしかない」と情熱を持って撮影に取り組んでいます。
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撮影現場での安田監督 |
農業の厳しい現実も描いた
安田監督は一般上映開始後も撮影を続けています。「エンドロールの映像を1年かけて撮影中です。一カットたりとも気の抜けたカットを作りたくないのでこだわって撮っています」。今年でエンドロールの差し替え撮影が終わり完全版に仕上がります。
「『農業=癒し』のようなイメージではなく、厳しい面も含めた農業の現実を描き出したかった」と安田監督。上映会で各地に呼ばれてショックを受けたといいます。「厳しい面も『ごはん』では描いたつもりだったのですが、山間地で耕作放棄地が広がっているのを見て『ごはん』がメルヘンに見えてしまう現実があることに衝撃を受けました」
「この作品を撮るために映画を撮っていた気がする」とまで安田監督は語っています。
問い合わせ先
上映予定や上映会の開催などのお問い合わせは、未来映画社のフェイスブックか京都映画センター(075・256・1707)、または直接安田監督(090・3844・1524)まで。
「多くの人に見ていただきたい。上映会で出演者の舞台あいさつも気軽に相談してください」と安田監督は呼び掛けています。
あらすじ
東京でOLとして働くヒカリに京都で米作り農業を営む父が急逝したとの知らせが入ります。幼いころに母を亡くし、仕事に明け暮れる父とはぎこちない間柄でした。葬儀に戻り、生前に父が引き受けていた田んぼが30軒分(5ヘクタール)もあると知りがく然とします。
田植えが済んで1カ月が過ぎ、稲はどんどん成長しています。足をけがして入院中の青年源八の「だれかが田んぼの面倒を見なければいかんのです」という頼みと、田を預かっている西山老人の「お父さんがあんなにがんばっていた理由を知りとうはないか」との問いに、ヒカリは田んぼを引き継ぐことにします。
米作りの経験も知識もない彼女でしたが、さまざまな人の助けや、昔から伝わる先人の知恵を借りてひとり奮闘。決して牧歌的ではない現代の米作りは広大な田んぼと、一人の女性の命がけのたたかいでした。そのなかで仕事一筋に生きた不器用な父の思いをヒカリは少しずつ理解し始めます。やがて秋の風が稲穂の草原を渡る頃、想像もしなかった美しい奇跡が起こるのでした…。(映画「ごはん」パンフレットから)
(新聞「農民」2017.10.23付)
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