農家が得する
税金コーナー
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税金運動を振り返る
農家の所得税の歴史について、記憶のある所を思い返してみました。
「標準課税」で税務署が基準を
私は、1970年から岡山で農業に取り組みました。京都で労働者として働いていましたが、体調を崩し、妻の実家である岡山に来て初めて農業に従事し、その苦労も体験しました。
その当時の課税は、「標準課税」とし、税務署が作目別に課税額を定めて徴収する制度でした。例えば米は反(10アール)10万円で、そこから大型農機具(トラクター、コンバイン等)を購入すれば控除対象になりましたが、その他の経費は標準で「控除済み」です。
私は地域の農家の協力をいただいて、ハウスで夏秋ナス栽培に取り組みました。私が始めた当初はハウス栽培ナスの課税標準がありませんでした。生産組合の役員が事前に税務署交渉で標準額を決めるというものでした。
しかもすでに決めてあるという露地ナスの標準を基準に、「ハウスは、日光の関係で間を2・5メートルあけている。6メートル間口のハウスに三条植え、田面積の7割が実栽培面積」などという基準が認められるものでした。つまりは農業の発展に政府も多くの人たちも支援していたのだと思います。
収入金課税で課税を強化
1993年ごろ私が地元農協の役員をしていたころに、農協に対する税金攻撃が激しく行われました。生産組合に対する援助金などを、接待交際費だとし、その金額が多いとか、小さな会計ミスを取り上げて、農協職員を震え上がらせたものです。
その後農家の税申告が「収入金課税方式」に変えられました。事前に農協に圧力をかけておいて税務署に「生産組合員各自の売り上げを報告」(?)させ、これをもとに課税しました。初年度は、経費が売り上げに対して7割で収入が3割の所得課税から出発しましたが、その割合を年ごとに変え、ついに5分5分になり「それでは農業が続けられない」と抗議すると「経費計算して申告しなさい」となりました。これが「自主計算・自主申告」への私たちの勉強の始まりです。
税法がころころ毎年改悪続く
しかし最近は、税務署に行くと「Eメールで申告を」とか「自書申告しよう」というスローガンが目につきます。自分で記帳・計算・申告書記載せよということのようですが、税法はころころと毎年変わります。変わるというより改悪が続いています。
2003年に配偶者特別控除38万円の原則廃止。04年に65歳以上の公的年金等の控除額を140万円から120万円に引き下げ、老年者控除50万円の廃止。05年には定率減税を半減し20%が10%に。06年は定率減税廃止で0円に所得税の税率構造の改定。07年、減価償却制度の改定――などと毎年税法が変わります。
なかには税務署員ですら知らない、わからなかった問題もありました。従って農民連の『税金の手引き』が毎年新たに必要になるのです。まして農家個人で全てを熟知して「申告用紙を記入」することは不可能だと思います。
全国の英知を学び合って
農業収入は年々下がりますが、税法改悪で負担が逆に増える傾向にさえあります。みんなで学習し合い、教え合う農民連は大きな存在です。多くの農家にお知らせしましょう。また農民連の『税金の手引き』と『記帳簿』はこうした農家の英知の積み上げでできています。大切にしましょう。
(岡山県農民連 坪井貞夫)
(新聞「農民」2017.9.4付)
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