福島
南相馬産のワタがアクセサリーに変身
子育てママと農業、両方を元気に
フロンティア南相馬
働くママを輝かせるプロジェクト
と
福島県農民連 南相馬女性部
農作業中のお母さんたち
いい顔してるでしょ!?
東日本大震災と原発事故から丸6年。事故によって多くの人が避難生活を強いられ、農民からもの作りが奪われるなかで、「だからこそ集まって、ものをつくろう」と、福島県農民連の南相馬女性部で、共同作業での綿花づくりが始まったのが2013年のことでした。
4年目を迎えた今年もワタ作りは続いています。5月17日には女性たちが集まって苗の定植作業に汗を流しました。でも今年は農民連のお母さんに混じって、子どもや若いお母さんたちの姿も…。じつはいま、南相馬女性部のワタが、被災地支援に取り組む認定NPO(非営利団体)「フロンティア南相馬」のプロジェクトとつながって、コットンパールというアクセサリーの材料に提供されているのです。
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みんなそろって畑でパチリ。前列右から2人目が門馬さん |
子育てしながら
フロンティア南相馬は、個人でボランティア活動に取り組んでいた有志が集い、「子ども・子育て支援」、「生活支援」、地域の企業を応援する「産業支援」などのプロジェクトやイベントの企画・運営を行っているNPOです。このうちコットンパールに取り組んでいるのは、子育て支援と産業支援の両方を兼ねた「働くママを輝かせるプロジェクト」に携わる、子育て真っ最中のお母さんたち。
このプロジェクトでは、農民連の南相馬の女性部で育てたワタを買い上げて、日本で1社しかないという業者にコットンパールに加工してもらい、そのコットンパールを材料に、フロンティア南相馬で若いお母さんたちがネックレスやイヤリングといったアクセサリーにしています。
プロジェクトの事務局を担当し、フロンティア南相馬の副代表理事でもある門馬舞さんも南相馬市内で2人の子どもを育てるママです。「コットンパールは、子育てしながら安心して働ける環境を身近につくりたいという願いと、原発事故でダメージを受けた南相馬の農業を支援したいという思いの両方が実現できる取り組みなんです」と門馬さんは言います。
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コットンパールとは
綿を小さな玉状に丸めて、真珠の粉を塗装したもの。軽くて、柔らかい輝きが美しく、アクセサリーになります |
「農民連のお母さんたちが南相馬でワタを育てたけれど、収穫したワタをどうしようかと思っているという話をたまたま伝え聞いて、着目したのがコットンパールでした」ときっかけを話す門馬さん。「今流通しているコットンパールは、原料の綿も含めてほとんどがすごく安い輸入品なんです。でも農薬を多用して栽培されていたり、加工も薬品が使われていたり。それを私たちは全部地元産のワタで、手作業で作っています」と胸を張ります。
南相馬市では唯一避難準備区域だった小高区の避難指示が今年4月に解除され、少しずつ人口も戻ってきて、「条件さえ選ばなければパートや働く場所も増えてきました。でも子育てしながら働くとなると、なかなか難しくて。このコットンパールづくりは子どもと一緒に、おしゃべりしながら楽しく働けるので、とても助かっています」と、この日、定植作業の手伝いに来てくれた中学生と小学生の子どもをもつ2人のママは話しました。
仲間に会いたい
そんな若いママたちを、目を細めて笑顔で見守っているのが、農民連のお母さんたちです。避難解除されても、営農再開への困難は山積み。小高区でも帰還困難区域が目の前という地域から相馬市に避難している阿部時子さんは、「小高では17ヘクタールもの田んぼを作ってたんですよ。それが今は、農作業をしないから、体が硬くなっちゃって。でも戻っても何を作ったらいいのか。買ってくれる人がいるのか。本当は戻りたくても、もう戻れない」と言います。
でもこのワタ作りの共同作業ではみんなが笑顔です。「そりゃ、みんなに会いたいから。お天道様の下で土いじりして、おしゃべりして、元気をもらうのよ!」とは、酪農家だった武田秀子さん。今は子や孫ともバラバラになり、原町で暮らしています。
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農作業に汗を流す女性たち |
「みんなまだまだ大変だけど、だからこそこのワタ作りでみんなに会えるのが心の支えよね!」と、笑顔でうなづきあうお母さんたち。そんなもの作りへの熱い思いが、若い子育てママの指先を経て、美しい真珠と変身しています。
(新聞「農民」2017.5.29付)
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