元農民連常任委員・元長野県農民連会長
山下始胤(もとつぐ)さんを想(おも)う
長野県農民連前事務局長・宮澤國夫
農民連および長野県農民連顧問で、農民連常任委員・県連会長を務めた山下始胤(やました・もとつぐ)さんが3月17日に80歳で逝去しました。農民連顧問で長野県農民連前事務局長の宮澤國夫さんに追悼文を寄稿してもらいました。
3月21日の告別式には、祭壇に多くの供花が並び、「農民運動全国連合会」「農民運動長野県連合会」の生花も供えられていた。歴代会長や関東ブロックなど農民連関係から数多くの弔電も寄せられた。
私は、1時間余の告別式で山下さんとの出会いから、これまでのことを思い起こしていた。
山下さんは、4期16年務めた豊野町(現長野市)議会議員を辞されたのち、1997年から2005年まで長野県農民連の会長を務め、農民運動に全力を傾けた。全国連常任委員としても北陸ブロックを担当して、北陸各県に組織づくりなどで足を運ばれていた。私は、山下さんから声をかけていただき、98年、長野冬季オリンピックの年の1月15日から県連事務局に勤めだした。
山下さんは、親分肌で面倒見がよく、農業を全く知らない私に、「多少でも体験をしておいた方がいい」と前年の11月の1カ月間、私を雇い入れてリンゴ園で収穫の体験をさせてくれた。そのときから家族ぐるみのお付き合いとなった。また、進取の精神を持ち、新しいことにも積極的に挑んだ。口数が少なく物事を単刀直入にいう方でもあった。ときには、口数が少ないが故に新しい提案が理解されなかったり、単刀直入に言ったために相手の誤解を生んだりしたこともあった。
山下さんが会長のときの99年に全国連の方針を受けて、飯山市信濃平に15名の組合員で農民連民宿部会を立ち上げた。農業をしながら民宿を営む農家民宿のみなさんが、消費税が3%から5%になり経営の厳しさが増すなか、農民連のネットワークを活用しようということであった。この年の全国研究交流集会は、この農家民宿を宿泊・交流の場にして開催された。このような形態は、今、再度検討されてもよいかもしれない。
何よりも、98年9月下旬に長野県を襲った台風7号で落下したリンゴを、全国に呼び掛けて販売した取り組みは今でも忘れることができない。この台風で、7割のリンゴが落下した地域もあった。後日談ではあるが、山下さん宅の前を流れる用水路の上流で落下したリンゴが放置され、それが発酵したため用水路の水がアルコール臭いということもあったようだ。
長野県連は全国連の応援を受け直ちに落下したリンゴを集め、全国に支援を呼びかけた。当時、全国連は「流通の変化に対応した多様な産直運動」を提案し、市場との対話・協力を進めているさなかであった。早速、埼玉上尾市場、名古屋北部市場でこの「風落リンゴ」をセリにかけていただき、次々と落札された。
また、東京では都内20団体以上、関西でも地元の農民連のみなさんの熱い協力をいただいた。京都では販売を呼びかけると1000人の行列ができた。その結果、北信の果樹地帯(長野市・須坂市・中野市・飯綱町など)だけでも5000ケース(10キロ箱)販売できた。落下したリンゴを回収し、市場・東京・関西の団体要請の先頭に立ったのが山下さんだった。
告別式の後、参列した農民連の笹渡義夫会長、吉川利明事務局長と、山下さんへの思いを語り偲(しの)んだ。私は、この1月に長野県農民連事務局を退職した。これからの人生を締めくくるまでのもう一くくりを、年齢に関わりなく進取の精神を持ち続けた山下さんにも学んで、精進を重ねようとの思いを強くした。
(新聞「農民」2017.4.17付)
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