「農民」記事データベース20170320-1255-08

人間性奪う戦争の恐ろしさ
今こそ次世代に伝えよう

神奈川県女性部
登戸研究所(旧日本軍戦争遺跡)を見学


 神奈川県農民連女性部「いちょうの会」が2月25日、神奈川県川崎市にある、旧日本陸軍の秘密戦研究所「登戸(のぼりと)研究所」の資料館を見学しました。

 今は平和資料館

 登戸研究所は、正式名称を「第9陸軍技術研究所」といい、アジア太平洋戦争末期の1937年に開設され、1945年の終戦まで、秘密戦のための兵器・資材を開発していた旧日本軍の施設です。秘密戦には、防諜(スパイ防止)・諜報(スパイ活動)・謀略(破壊、かく乱活動、暗殺)・宣伝(人心の誘導)の4つの側面がありますが、この研究所の研究内容や開発した兵器・資材はどれも、人道上も国際法規上も大きな問題を有するものでした。

 終戦後、1950年に跡地を明治大学が購入。現在は明治大学生田キャンパスとなっていますが、戦争の本質を直視し、歴史的事実として受け継いでいこうと、登戸研究所の施設だった建物を保存・活用して、2010年に平和教育の資料館が設立されています。

 「いちょうの会」では、戦争法が強行され、改憲が叫ばれる今だからこそ、戦争の真の姿を考え直してみようと、神奈川県内に残る貴重な戦争遺跡である登戸研究所を訪ねることになりました。

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陸軍マークの残る消火栓(右下)の前で説明を聞く参加者

 人体実験も実行

 資料館では、同大学教授で同資料館館長の山田朗(あきら)さんが、学内に残る遺構や資料館の展示を回りながら、2時間半にわたって説明してくれました。

 登戸研究所では、気球に爆弾を付けてアメリカまで飛ばしたという「風船爆弾」や、中国紙幣の偽札の研究・製造などをしていました。

 生物・毒物兵器の開発では、中国のハルビンで中国人などに対して人体実験をした731部隊とも協力・連携して研究が行われていました。山田さんは、暗殺兵器の開発のため人体実験をした元所員の証言――「初めはいやであったが、慣れると一つの趣味になった(略)死体はすぐ解剖して研究の材料にした」――を紹介しながら、「戦争の大義名分のもと、目の前で人を殺しても何とも思わない、人間的な感情がマヒさせられてしまったのですね。戦争研究ならではの恐ろしさを忘れてはいけない」と話しました。

 風船爆弾の展示室では、「気球は最高級の国産和紙をコンニャクのりで張り合わせて作られており、統制経済のもと、日本各地の和紙産地やコンニャク産地から膨大な量の材料がかき集められた」と説明され、「いちょうの会」の女性たちは、「お米や麦だけでなく、どんな農産物も統制されて、戦争と無縁ではいられなかったんだね」「(コンニャク産地の)群馬の女性たちに知らせたい」と、驚きしきりでした。

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研究所施設だった建物(現資料館)の前で

 次世代に伝える

 見学を終えた後の総会では、女性たちは両親やそのきょうだいなどから聞いた戦争体験の話でもちきりに。「戦争を体験した最後の世代が高齢化している今こそ、身近な人の身に現実にふりかかった戦争の記憶を私たちが引き継いで、次の世代に伝えていく役目があるね」と、戦争体験の聞き書きを、女性部ニュースなどにして残していくことになりました。

(新聞「農民」2017.3.20付)
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2017年3月

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