茨城・常総の豪雨水害とその後
いちご生産農家・栽培50年
茂 呂 英 世さん(71)
=自治研全国集会での報告(要旨)=
10月1、2の両日、第13回地方自治研究全国集会が茨城県つくば市で開催され、茨城県西農民センター会員で常総市のいちご生産農家、茂呂英世さん(71)が、2日目の現地分科会で常総市の豪雨水害とその後について発言をしました。要旨を紹介します。
ハウス流出・倒壊農機具
修理不可能作付け一部諦める
この日いちごの定植だったのに
私は昭和19(1944)年12月生まれで、現在3人家族です。私の住むところは西に鬼怒川、東に小貝川が流れ、地形的にはすり鉢の底にあたるところで、水害多発地帯です。
私は稲作2ヘクタールと30アール弱のハウスいちごを主体の経営を50年余り続けてきました。昨年9月10日の鬼怒川決壊当日は天候次第で晴天なら稲刈り、雨模様ならいちごの定植を予定していました。そんななか、午後1時ごろに、鬼怒川堤防決壊の知らせが入ってきました。
水の気配を感じて東の方に目をやると、そこには50メートルのパイプハウス2棟がありましたが、流れ出した濁流が八間堀川に遮られ、私の家の方に寄せてきて、1分もたたないうちに水頭の一撃でつぶされてしまいました。
何とかヘリコプターの救助を受けて、私と妻の2人は避難することができました。
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避難所の茂呂さん(左)=2015年9月14日 |
復旧に行政が十分対応できず
義援金や農協の無利子融資でやっと
すべての再建を断念した人も
被害の実態は、住居が大規模半壊、2棟のハウスが流失・倒壊し、農機具もほとんど修理不可能に近いものが多数でした。育苗苗、育苗床、ハウスもなくし、残ったハウスでのいちごの作付けは諦めました。
農機具の被害は、新しくすると1000万円を超えて、国の3割補助ではどうにもならなかったのですが、粘り強い働きかけのおかげで国が3割、県・市で半々の3割、合わせて6割の補助に高めてもらい、共同の機械もあったので買い替えることができました。
また、皆さんから寄せられた義援金は本当に心にしみました。それでも友人や知人の中では、様々な条件が重なり再建は一部になり、またすべての再建を断念した人たちもおりました。
被災した住居にも助成があり助かったのですが、細かい制約が多くあり、困ったところも多数ありました。再建に入った私の住居は、70数坪の平屋で備品など含めると、1千数百万円の修繕費がかかりました。これには農協が窓口の災害関連の無利子の資金なども活用しました。
住宅の助成に関してもサポートセンターを中心に多数の方の働きかけがあって、多少の改善がみられましたが、今回の災害では被災者が抱えた様々な問題に、行政が的確に対応しきれていないとも思いました。
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水につかった茂呂さんのイチゴハウス |
残る課題多く時間かけて解決
今回の水害で思ったことは、人は嫌なことを含め忘れやすい生物であるし、行政を動かすのは少数の人だけに頼ってはなかなか進まないことと、河川にかかわる勉強会ほどではなくても、関心を持ち続け意識を高める工夫を身近な危険個所、河川の全体像を含め流域の自治体とともに深めていくべきだと思いました。
私は毎年、いちごと米で1千数百万円の収入がありましたが、昨年はいちごも米も収穫できず、米の共済での140万円のみでした。
今年のいちごは、ハウスの修繕が間に合わないことといちご苗の準備ができず、被害前の面積の約8割の作付けにとどまりそうです。
いちご主体の経営ですから、被害を受けたハウスの修繕などすべてが終わらなければ,元には戻すことができません。これから施設の修理など課題が多く残っているので、時間をかけて進めていくしかないと考えています。
(新聞「農民」2016.11.21付)
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