農民連元代表常任委員
小林節夫さんを偲しのんで
農民連副会長 真嶋良孝
小林節夫・農民連元代表常任委員が8月22日に90年の生涯を閉じました。昨年11月に長野県佐久の自宅でお会いし、再訪を固く約束していたのに、約束を果たさないままお別れすることに慙愧(ざんき)の念が募ります。
愛称「怒りの節夫」
私が小林さんに初めてお会いしたのは四十数年前、関東農団連の政府交渉の場でした。「代かき」の意味も知らないままに減反を強要する官僚の理不尽に怒りをぶつける姿に、痛快さと共感を覚えたことを思い出します。愛称が「怒りの節夫」だと聞いたのは後のことでした。
小林さんが農民連の前身、農民懇(農民運動の全国センターを考える懇談会)の事務局長に就任してからは、「東京には俺を酒呑(の)みにする悪友がいる」(小林談)と言われたとおり、年下の「悪友」の一人として、小林さんの人生の最充実期を身近に過ごさせていただきました。
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ありし日の小林さん(座っている1番右側の人) |
生きざまが人を打つ
小林さんから教えていただいたことは数限りありません。
なによりも、その生きざまが人を打つ人でした。
「これからの本統の勉強はねえ/テニスをしながら商売の先生から/義理で教はることでないんだ/きみのやうにさ/吹雪やわづかの仕事のひまで/泣きながら/からだに刻んで行く勉強が/まもなくぐんぐん強い芽を噴いて/どこまでのびるかわからない/それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」(宮沢賢治「稲作挿話」)
衆議院議員候補だったとき、小林さんは選挙と田植えがかちあえば、候補活動が終わってから苗を植えたといいます。「泣きながら、体に刻む」――小林さんが折にふれて語ってくれた宮沢賢治の詩とともに、農民としての刻苦精励ぶりに胸を打たれ、同時に私たちの仕事、活動のありように対する叱咤(しった)激励として胸にしみました。
小林さんが起草した農民連結成大会宣言は「農民の労働を虫けらのように踏みにじる」政治に対する怒りをほとばしらせ、高らかに「農民の人権宣言」をうたいあげました。これも、小林さんならではのものでした。
大局みて柔軟に洞察
小林さんは大局を見、頑固なほど深く、しかし柔軟に洞察する人でした。
特定の活動家の自己犠牲に依存し、たたかいが一時的で長続きせず、全国的に団結して運動するうえで大きな立ち遅れがあったという農民運動の歴史的弱点に対する冷徹な分析を何度も聞かされました。そのうえで、現実の運動から柔軟に、謙虚に学び、「一人ひとりが会費を出し合うことが組織と運動を維持、発展させ、要求を実現する保障であり、日本農業を守る保障である」(農民連結成大会への報告)という、今日では当たり前の原則の確立を、頑固に主張してきました――こんなことを書けば、小林さんには「みんなで決めたことだ。特定の人間の手柄にするな!」と怒られそうですが――。
視野広く旺盛に実践
小林さんは並みはずれた広い視野と関心を持ち、旺盛に実践にいかす人でした。
法要には、優しい笑顔の遺影と並んで、咲き誇るナタネの写真が飾られていましたが、遺伝子組み換えナタネに対抗し、国産ナタネを再興させる運動の火付け役だった小林さんにふさわしいと感じいりました。
グレープフルーツと輸入パインに対抗するために土佐文旦と沖縄パインの産直を提起するかと思えば、「農村を憩いとやすらぎの場」にとグリーンツーリズムを提唱し、WTO(世界貿易機関)がスタートすると食品分析センターの設立を提案する……。あげればキリがありません。しかも号令をかけるのではなく、西に東に、自ら足を運ぶ人でした。
本人は「兵は拙速を尊ぶ」と謙遜(けんそん)していましたが、拙速どころか、いずれも現在の農民連の運動にとってかけがえのない財産の数々です。この財産を引き継ぎ、どう発展させるか、私たちにとって痛切な課題です。
茶目っ気と毒舌も
茶目っ気と毒舌も小林さんの持ち味でした。
佐久の乳価闘争で、夏場に乳脂率が下がることを買いたたきの口実にする明治乳業の工場長に対し、「あんたの女房の母乳の乳脂率は下がらないのか」と反撃して絶句させたことを小気味いい思い出として語ってくれたことがあります。「相手が最もイヤがることを突く」。私が小林さんから学んだ作法の一つです。
小林さんはシャイで偉ぶらない人でした。シンポジウムで、参加者が講師の小林さんに「先生」と呼びかけると、「私は先生ではない!」と口をつぐんでしまう光景に何度も出くわしました。
亡くなる直前、小林さんは、奥様に「苦労をかけたな」とつぶやいたといいます。「初めてのこと」だったそうですが、ブランド店が並ぶローマ・スペイン坂周辺で、韓国でも白磁の名工から、照れくさそうに奥様に土産を求めていた姿をしみじみ思い出します。
大きく厳しく優しく
大きく、厳しく、そしてかぎりなく優しい存在だった小林さん。感謝はつきません。90年の生涯にわたるご活躍、ほんとうにご苦労さまでした。私たちは大きな後ろ盾を失いましたが、生前の情熱と遺志を必ず引き継ぎます。安らかにお眠りください。
(新聞「農民」2016.9.26付)
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