東日本大震災・福島原発事故から5年
国は一人ひとりの要求に
責任をもって向き合え
福島県農民連前会長 亀田 俊英さん
東日本大震災と福島第一原発事故から5年。政府は昨年6月、「居住制限区域(年間被ばく線量が20〜50ミリシーベルトの区域)」と、「避難指示解除準備区域(原発から半径20キロ圏内で、年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下の区域)」を、遅くとも来年3月までに避難解除し、精神的賠償も実質的に打ち切る方針を、閣議決定しました。
南相馬市小高区は大部分が解除準備区域で、居住制限区域内の集落もあります。政府は今年2月の現地説明会で、この4月にも両方の区域とも避難解除する方針を発表。住民から「時期尚早だ」という反対意見が続出し、数週間延長の方向で、南相馬市と国で協議が続いています。
「避難せざるをえない、いつ帰れるかもわからない、そういうなかに5年間も置かれた住人を目の前にして、国は自らの失政も認めず、被害の実相も直視せず、責任も取らない。この憤りは、言葉にならないほど深い」――こう話すのは、福島県農民連前会長で、小高区の稲作農家の亀田俊英さんです。
「これまで賠償や線引きで、地域内にはさまざまな分断や差別が持ち込まれてきたが、いまは5年たって、一人ひとりが本当に違う状況や立場に置かれるようになり、要求も一人ひとりが違ってきている。避難解除を前に、住民の矛盾と孤独はもっと深くなっている」と亀田さんは言います。
2月には自ら命を絶った農民連の仲間もいます。「本当にまじめな人で、東京まで政府・東電交渉に行ったり、運動も一緒にがんばってきた仲間だった。そういう人でもこういうことが起こってしまう。それくらい、一人ひとりが違う事情を抱えて、追い詰められている。これが実態」
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完全賠償を求める国会行動で要請書を手渡す亀田さん(右) |
亀田さんは、「福島の教訓を次世代にきちんと手渡そう、そして二度とこんな事態は起こさない、という立場に立ってこそ、完全賠償とも向き合えるし、住民一人ひとりの声にも責任を持って向き合える。20ミリシーベルト以下なら被害はないという政府の言い分も、原発を続けたいがために被害を小さく見せるごまかしだ」と話します。「福島の問題の根本的解決のためにも、国が原発をなくすことが必要」と強調しました。
(新聞「農民」2016.4.4付)
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