敗戦70年目の百姓宣言「戦没農民兵士の手紙」は二度と書かない
「宣言」にご賛同を「敗戦70年目の百姓宣言」にご賛同ください。大地を耕し、種をまく営みをしているすべての方々に呼びかけます。規模の大小や販売が自給かは問いません。「百姓宣言」(本文別項)にご賛同ください。そして家族に、地域に、友人・知人にお声をかけてください。賛同署名をいただいた方々は、「○○県○○○○(野菜)」という形で一覧にして発表します。 すでに亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、ひいじいちゃんやひいばあちゃんで、この人はきっと戦争に反対したと思われる方も呼び戻してください。「故○山○子」といった形で、賛同者に入ってもらいます。百姓というのはそんな営みだと思うからです。 8月15日に第一次分として、個人495人、団体8団体分を安倍首相あてに送付しました。引き続き、第2弾、第3弾と積み重ね、最終的には1万人をめざします。
賛同いただける方は、以下のことをご記入の上、ファクス、郵送、メールなどでご返送ください。(個人情報は厳重に扱い、一切外に出しません)
・お名前・年齢
敗戦70年目の百姓宣言「戦没農民兵士の手紙」は2度と書かない岩手の村々から戦争にとられた農民兵士が戦地から実家に送った手紙をまとめた『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書、1959)をご存知でしょうか。戦地で倒れた百姓青年たちの手紙は、お母さんのこと、農事のこと、家族のことで埋まっていました。敗戦から70年がたちました。自衛隊を世界中に送り、戦争に参加することを可能にする法案が国会に出され、軍靴の響きが現実になろうとしています。アジア太平洋戦争の最中、百姓は戦争遂行のために国策によって食料増産を強いられ、食糧にならない桑や花卉(き)や果樹が引き抜かされました。「満州」移民となって、他国の同じ百姓の土地を奪ってしまった歴史もあります。 動ける百姓は赤紙1枚で侵略戦争に駆り出されました。彼らは戦場で交戦相手の兵士や侵略先の人びとと直に向かいあい、“殺す”側に立たされました。戦地で銃弾に倒れ、餓死し病死した兵士の圧倒的部分も農民兵士でした。 男たちを戦争にとられ、年寄りと女、子どもばかりになった村では、コメもムギもイモも“供出”させられ、女たちは家を村を守ることが国を守ることだと強いられたのでした。 そして敗戦。農地改革で自分の土地を手にした百姓は、うれしさをかみしめながら生産に励み、戦後の飢餓に立ち向かいました。開拓農民として未来を切り拓こうと荒れ地に入植した人たち。しかし、百姓が生産する喜びを味わったのは、ほんのひとときでした。経済が復興し、経済成長の軌道に乗ると同時に、規模が小さい農業は効率が悪く、経済の発展を阻害するとされ、国策によって百姓は淘汰(とうた)の対象となりました。世界を市場競争に巻き込む、いわゆるグローバリゼーションの時代が訪れ、そこにいまTPP(環太平洋経済連携協定)がかぶさり、百姓の農業はますます追いつめられています。 もちろん百姓は負けてばかりではありません。土地、農産物価格、地域再生、自給と地産地消、都市との交流と連携、百姓を次代に引き継ぐさまざまな試み、などなどあらゆる局面で国策に抵抗し時代を創る取り組みを重ねています。百姓の抵抗と創造はいま都市の人びとを巻き込みながら次第に深まり、広がっています。 百姓の抵抗と創造を支えてきたのは、戦争のない70年でした。それは平和におだやかに生きることを人間の権利として定めた憲法によってもたらされたものです。その憲法が今ずたずたにされようとしています。私たちは憲法を壊す戦争法案(安保法案)をただちに廃案・廃止することを要求し、百姓として宣言します。 私たちは二度と「戦没農民兵士の手紙」は書かない。
2015年 月 日 (新聞「農民」2015.9.21付)
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[2015年9月]
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