東日本大震災から丸4年
やっぱりいいね
土いじり!
福島県農民連南相馬女性部
共同作業で綿花栽培
集まって支え合おう
浜通り農業の復興の力に
「やっぱり土いじりって、いいねえ」「ものを作れるって、うれしいね!」――東日本大震災から丸4年。福島県浜通り地方ではいまだに原発事故による避難生活が続き、生活再建でも、地域復興でも、問題はますます深刻化しています。そんななかで、「やっぱりものづくりがしたい」と、福島県農民連女性部の南相馬市の女性たちが、昨年から共同作業で綿花作りに取り組んでいます。
“ものつくれる”ってうれしいね
「避難生活が続いていたり、農業ができなくなって勤めに出たり、いま南相馬市の女性部のお母さんたちは、ふだんはバラバラに奮闘しています。だからこそとにかく集まって、おしゃべりできる機会がほしかったんです」――畑を綿作りに提供した南相馬市小高区の根本幸子さんはこう言います。
綿作りのきっかけは、小高区の会員、渡部チイ子さんが、昔から綿花栽培で有名な新潟県に避難していた知り合いから、「南相馬市でも綿花を栽培しませんか」と種を分けてもらったのが始まりでした。「福島の農産物は今でもやっぱり風評被害もあるし、放射能の問題もある。綿花なら、食べ物ではないけれど本来生活に欠かせない昔からの農作物だし、浜通り農業の復興の力になるかもしれない。みんなで一緒に作ってみたら…」と、女性部での綿作りを呼びかけたのです。
種をまき、苗を作って7月に女性部の数人が集まって小高区にある根本さんの畑3畝に定植しました。「みんな勤めがあったりするので、共同作業は必ず土日に組むようにして…」(根本)、夏の間には、草取り作業も行いました。「土に触るのは久しぶりという女性も多く、お天道様に照らされて、青い空の下で、『やっぱり土いじりって、いいねえ』『ものを作れるって、うれしいね!』って言いあいながら農作業しました。お昼にはお弁当広げて、おしゃべりもして。もう本当に楽しかった」と根本さんは言います。
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青空の下、みんなで定植作業 |
『帰還』の強制に強い抗議の声が
でもおしゃべりの中身は、なかなか深刻です。「やっぱり、避難指示が解除されたあと、どうなるのか、どうしたらいいのか、が女性たちの大きな関心です」と渡部さんは言います。
南相馬市ではいま、北部の鹿島区や原町区は避難区域外とされる一方、原発から20キロ圏内に入る小高区の多くは「避難指示解除準備区域」や「居住制限区域」とされ、国は来年4月にどちらも避難指示を解除する方針です。解除されれば1年後をめどに精神的損害などの賠償も打ち切られようとしています。
しかし“除染がすんだらもう帰れ。賠償ももう終わりだ”という国・東電の一方的な姿勢に、住民からは強い抗議の声が上がっています。「家はもう何年も空き家になっているし、山林の除染もまだ。農業再開の可否や仕事の問題もある。みんな悩みは深い」(渡部さん)のが現状です。地域農業の再建でも問題は山積みです。
「でも、だからこそ、女性部のみんなで集まって、励まし合って、支え合っていきたい」――綿作りはその大切な“結び目”となりました。
新しいつながり地域につくって
さて、初めての綿作り。綿の実が小さかったり、ゴミが付いてしまったり、大苦労の末、種を含めて50〜60キロほどを手つみで収穫しました。手分けして家に持ち帰り、種をはずす「綿切り」作業が、女性たちの冬の「宿題」になっています。
福島県内には会津木綿の伝統もあり、浜通り地方には藍染めに取り組んでいる女性農業者のグループもいます。渡部さんは「この綿作りをきっかけに、地域や県内に新しいつながりをつくって、浜通り農業の復興につなげていければ」と抱負を語ってくれました。
(新聞「農民」2015.3.16付)
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