東京・町田市
米軍機墜落事件50周年
風化させない
平和像建て記憶にとどめよう
神奈川農問研代表幹事・相模大野9条の会
小川 政則さん
第3次安倍内閣が発足し、海外に自衛隊が参戦する集団的自衛権や憲法改悪を推進しようとしています。一方で、戦争の恐ろしさを伝え、米軍基地に国民の生存が脅かされている現実を風化させない取り組みも始まっています。
学生時代の知り合いが犠牲になって
1964年4月5日午後4時28分。東京都町田市の旧国鉄・原町田駅(現在のJR町田駅)近くの商店街に、沖縄県の嘉手納基地から厚木基地(神奈川県大和、綾瀬両市)に向かう米海兵隊の戦闘機が墜落。爆発炎上し、周囲は一瞬にして火の海になりました。4人死亡、重軽傷者32人、家屋の全半壊27戸の大参事でした。倒壊物と土砂の下から当時28歳の吉田ツネ子さんと9カ月の賢一ちゃんら3人が圧死した状態で見つかり、1人は焼死でした。
犠牲になったツネ子さんと当時知り合いだったのは、相模原市南区に住む小川政則さん(81)。神奈川農業問題研究会の代表幹事を務め、相模大野9条の会の活動にも携わっています。ツネ子さんの実家は、現相模原市中央区で雑貨店を営んでいました。
吉田さんの雑貨店によく通っていた小川さん。「貧乏学生で安物を買う私に、店番をするツネ子さんが『たまには高いものを買ってよ』と冗談交じりに言っていた声が今でも耳に残っています」と振り返ります。
ツネ子さんは結婚後、町田に移住。小川さんも学校を卒業後、町田に住み、ある日偶然、街なかで再会したこともありました。
事故当日、小川さんは、現場に駆けつけ、消防に参加した人からその悲惨さを聞きました。その年は、大和市でも米軍機が墜落し、5人が死亡。77年には、横浜市で墜落事件があり、3人が命を落としました。大和、横浜の両事件とも、記憶にとどめようと慰霊塔や母子像が建立されました。
実行委結成して募金を呼びかけ
2014年は、事件から50年。小川さんらは「町田の事件を風化させてはいけない」と「平和像」の建立を実現するために実行委員会を結成。自ら代表世話人に就任し、追悼集会の開催や街頭での募金の呼びかけなどを行ってきました。
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小川政則さん |
募金をしてくれた人たちからは「事故のことは知りませんでした。些少(さしょう)ですが、お役に立ててください」「私たちの生存権と平和を守るために、募金します」などの声が寄せられています。
目標500万円のうち、昨年末までに約200万円が集まりました。戦後70年の今年、何としても建立を実現させたいと小川さんは募金への協力を呼びかけています。
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平和像建立カンパの送金先
郵便振替 00100―0―634034
加入者名 町田の平和像建立実行委員会
問い合わせは、小川政則さん(TEL 042・742・2253)まで。
(新聞「農民」2015.1.19付)
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