農民連青年部 夏の学習交流会
地域を元に戻すために
農業をやり続けたい
生で見た“福島”にびっくり
農民連青年部は「未来へのはじめの一歩 Road to 福島」と題した2014年の青年部夏の学習交流会を9月2、3の両日、福島県浜通り地方で行いました。全国からのべ約50人が参加し、交流を深めました。今年の交流会は「今しか見ることができない、見ておくべきものがある」という思いで、震災と原発事故の被害にあった浜通り地域を選びました。
相馬市の産直カフェ「野馬土」に集合した参加者は、青年部の植田修部長、福島県農民連の亀田俊英会長のあいさつ後に、浜通り農民連副会長の三浦広志さんの案内で南相馬市と浪江町に向かいました。道中では三浦さんが「相馬市に避難した時に南相馬市民は隔離された」など、震災当時の様子や、「南相馬市での水田作付けが3・4%しか再開していないのは、東京電力の賠償の線引きの問題が原因」などと語り、「賠償金をもらえる人ともらえない人の壁は大きくなっている。今、この地域は矛盾だらけだ」と述べると現地ならではの生々しい話に、参加者からは驚きのため息がもれました。
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相馬市の田んぼアート前で記念撮影 |
南相馬市や浪江町の海沿いの地域では福島市や東京都内よりも低い数値を示すことが多く、参加者からは「線量は低いのに、なぜ帰れないのか」という疑問が出ました。それに対し三浦さんは「線量の問題ではない。いまだに福島第一原発が、いつ爆発を起こすかわからない状態では、避難できない場所には帰れない」と答えました。この答えに「もう落ち着いていると思っていた」など驚きの声が上がりました。
「なぜこうした状況なのに、政府は住民を戻そうとするのか」という質問に対しては、「再稼働や輸出を進めるために、原発事故はたいしたことがないと思わせたいのだろう」と答えました。
視察の帰路には、南相馬市原町区の杉和昌さん(浜通り農民連会長)の牧場も訪れ、話を聞きました。
家族を避難先に残して単身牧場を維持している杉さん。「採算は合わないが地域をもとに戻すためには、農業をやり続けないといけないと思って続けている。地域を守らなければ生きていけなくなってしまう」と話し、「全国どこにでも原発があるが、コントロールできないものはいらない。こんなつらい思いを、これ以上ほかの人に味わってほしくない」と訴えました。
視察の最後に三浦さんは「今日見た光景を多くの人に伝えてほしい」と訴えました。
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杉会長(右端)の話を真剣な表情で聞く参加者 |
未来への地図をみんなで描こう
2日目は地元で農漁業をがんばっている3人を招きました。
南相馬市のイチゴ農家の大和田祥旦(よしあき)さん(30)は経営5年目でスーパーなどへの直接契約が軌道に乗ってきた段階で震災を受けました。震災後は、父親のキュウリ栽培を手伝っています。「とにかく作って検査していくことが大事だと父は言っていました」と大和田さん。2013年からは後継者の育成に力を入れています。「まずは母校でもある地元の農業高校とのチャンネル作りを進め、シードアートでギネス記録に挑戦したりしました。地域のコミュニケーションをどれだけとれるかが肝ですね」と報告しました。
新地町で米と野菜を栽培している後藤直之さん(31)は浜通り農民連の青年部員です。「ただ自分が、農業が好きだから続けていきたい。離農した人の分の担い手になって、その結果として地域貢献になればいいと思います。農業は一人ではできないので、人づくり、コミュニティーづくりが大切です。その土台をしっかりと作っていきたい」と話しました。
遠藤友幸さん(53)は浜通り農民連の漁民部部長です。震災前はノリやアサリを養殖していたほか米も4ヘクタール栽培していました。「今は、松川浦でノリのタネ網を保全しています。今年も自粛になったので、来年も作付けはできません。少しでも行動を続けることで道は開けると思う。長い目で見守ってほしい」と話しました。
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メンバーが出したアイデアをまとめて1つの企画に |
報告や、前日の視察をもとに参加者は4グループに分かれて、「未来への一歩を踏み出す企画」を考えていきました。議論の中では「この地域に人が呼べるようなお祭りがいい」「伝えていくために第2、第3の三浦さんを育成しよう」「無人になってしまった街並みをうまく活用できないか」など多彩なアイデアが発表されました。
未来を見据えがんばっている農家を見た
奈良県の野菜農家、原澤康治さん(29)
初めて交流会に参加しましたが、和気あいあいとしていて楽しい交流会でした。初めて見た福島の実態は想像以上でした。復興ができるのか不安になりましたが、100年、200年先を見据えてがんばっている農家がいるのがわかって良かったです。
茨城県常陸野農民センターの荻谷祥子さん
震災後初めて福島に来ましたが、生で見るのはやっぱり違いました。車中で線量計がなり始めたときのインパクトはすごく強いものがありました。来たことがない人にはぜひ一度見に来てほしいし、関心が薄れている人にどう伝えて関心を持ってもらうか、考える必要があると感じました。
(新聞「農民」2014.9.15付)
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