農民運動全国連合会(農民連)名誉顧問
岡田厚美さんを偲しのんで
農民組合愛媛県連合会書記長 大野政信
岡田厚美さん
農民運動のあなたの後継者の一人として、お別れの言葉を述べることになりました。
農民運動ひと筋みごとな人生
私たちは、あなたが生涯をかけて農民運動に打ち込んでこられたことを誇りに思っています。およそ50年の長きにわたって農業と農村を愛し、農民の営農と暮らしに思いを馳(は)せ、農民の権利の拡大や社会的地位の向上などに尽力されてきました。周囲からみても農民運動ひと筋のみごとな人生だったと敬服しています。
私があなたの病室を訪ねた昨年8月はじめには、えひめ近代史文庫の特集で、一昨年4月にあなたが発表した「自治体農政の展開 流れをつくる10年――食と農のまちづくりと地産地消」の原稿に手を加え、特集号となる目次のゲラを手渡されました。私は、それに目を通し、しばらく対話しました。そのときの特集号の完成を待つ、あなたのうれしそうな様子が、いまだに忘れられません。この特集号の出版が農民運動のあなたの最後の仕事になりました。
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福島に救援物資を届ける岡田厚美さん(後列左から4人目) |
誰も知らない歴史を後世に
そのときは、まだ余命がいくばくかあるとのことで、残った時間で、あなたが関わった愛媛の農民運動の、誰も知らない、あなたしか知らない事実・歴史と、農民運動全国連合会の前身の「農民運動の全国センターを考える懇談会」(農民懇)の時代の経験を文書で残してほしいと私は要望しました。すると「体調を見ながら少しずつやってみようか」と返事をいただいたばかりでした。もし、時間を元に戻せるなら、せめてあと2年、いや1年の時間をあなたに与えてほしかったという思いがします。
もっと欲を言えば、1970年以前からの牛肉・オレンジの輸入自由化に反対し、愛媛のミカンを守る1万人大集会を、農民組織をはじめ、県民の多くの総意で開催することに、あなたは情熱を傾けてきました。今では、農民運動に関わった年配の先達によって語り継がれていますが、願わくは、この一連の大きな運動の歴史も後世に残してほしかったと考えています。そういう意味では、まだまだやり残した人生だったかもしれません。あなたのやや早すぎる「死」が残念でなりません。
支えと指導があったからこそ
私はあなたの後継者として、2000年に専従書記長の職を引き継ぎました。ちょうどその年は、前年からの、ミカンの市場価格の大暴落で、収穫したものの出荷ができず、ミカンが樹園地に野積みにされたり、収穫が放棄されたり、ミカン生産者の農民にとっては実に悲惨な状況が続いていました。私たちは、この苦境を全国に広く知らせて何とか打開したいと、各農協の皆さんの協力を得て、日本一のミカン産地・西宇和郡保内町でミカン危機打開に向けたシンポジウムを開きました。全国の仲間も駆けつけ、250人の農民が真剣に議論しました。
この直後に、玉沢徳一郎農水大臣(当時)に農水省の大臣室で直接会い、ミカン産地を守る要請を行いました。こうした運動の成果が今日でもさまざまな形でミカン産地を守る施策に生かされています。これも、あなたの大きな支えと指導がなければできなかったことでした。
生涯かけた運動の遺志受け継ぎ
あなたがなくなった今、再び農民運動の重要な局面がやってきました。環太平洋連携協定(TPP)への参加を表明していた政府が、実際に交渉に参加したことにより、私たち農民は、地域の農業が壊滅するのではないかと危機感を強めています。TPPは、農業分野だけでなく、国民の生活のさまざまな分野に重大な悪影響を及ぼすもので、全国でTPP参加阻止の運動が展開されています。
私たちは、あなたが生涯をかけてきた農民運動の遺志を受け継ぎ、このTPP阻止の運動はじめ、農村で生きる農民の豊かな暮らしの実現をめざして、今後も粘り強く活動を続ける決意を申し上げ、あなたとのお別れの言葉とします。
長い間、ご苦労さまでした。やすらかにお眠りください。
(新聞「農民」2014.2.17付)
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