「農民」記事データベース20130812-1081-06

語り継ぐ満蒙開拓
(上)

長野・阿智村
「平和記念館」をみる


犠牲者多く悲しい実態まざまざと

 中国東北地方に1932年から45年まで存在した「満州国」。ここに日本から約30万人の農業移民が国策として移って行きました。これが「満蒙開拓団」です。この歴史を風化させず、語り継ごうと長野県阿智村に「満蒙開拓平和記念館」が建設され、4月25日に開館しました。

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4月にオープンした満蒙開拓平和記念館

 開館から3カ月来館者1万人に

 7月28日に来館者がちょうど1万人に達しました。この日も、来館1万人を取材しようと地元メディアをはじめ、親子連れや高齢者ら幅広い年代の人々でにぎわっていました。

 “20町歩の地主になれる”“満州は日本の生命線”――夢を抱いて渡った新天地でしたが、1945年8月9日、突然のソ連侵攻で満州は戦場となり、開拓団の人々は広野を逃げまどいます。終戦後も日本に帰ることができず、難民収容所では飢えと寒さで大勢亡くなりました。これが日本と中国の双方に多くの犠牲者を出した「満蒙開拓」の実態でした。

 開拓団とともに1938年には、14、15歳の少年約10万人が全国から集められ、「満州国」へ送られました。「満蒙開拓青少年義勇軍」です。

 長野で4万人も全国でも突出

 なかでも長野県は、「開拓団」と「義勇軍」を合わせて約4万人も送り出し、全国でも突出しています。こうした歴史を残そうと長野県の飯田日中友好協会が2006年の定期大会で記念館の建設事業を決め、全国から寄付金を募りました。08年には阿智村から建設用地の無償貸与の申し出があり、12年には林野庁、長野県などから建設補助金が下りることが確定し、その年の9月に着工しました。

 平和への願いを共有できる館内

 館内は、戦前から戦後に至る満蒙開拓の歴史をコーナーごとに設け、時系列にたどっていきます。戦争や「満州」を知らない世代にもわかりやすいように写真や史料、映像で表現する工夫もなされています。開館に先立ち、全国から史料が送られ、また各地に出向いて集めました。

 史料を閲覧する学習ルームや語り部の証言をじっくり聞くセミナールーム、飲食をしながら参加者が語り合うカフェなど、見る、聞く、読む、触れる、参加することで平和とは何かをみんなで考え、その願いを来館者全員が共有できるスペースです。

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当時の開拓団の住居を再現したスペース

 二度と戦争が起きないように

 来館者の感想を掲示するメッセージボードには次のような意見がありました。

 「国民学校の頃、義勇軍に上級生を送り出しました。電車の窓から5色の旗を振る上級生を電車が見えなくなるまで手を振って見送りました。あの方々はどうだっただろうかと思うと今でも胸が痛みます」(名古屋市、79歳)

 「戦争は政府によって起きるのに被害は全て民衆が背おっているので、当時の人達は本当にかわいそうだと思いました。二度と戦争が起きないようにしたいです」(長野県飯田市、15歳)

 被害と加害両方に向き合って

 同記念館の寺沢秀文専務理事は「アジアを巻き込んで大きな犠牲を出した満蒙開拓の歴史を決して忘れてはいけません。犠牲者や体験者の悲しみ、思いを伝えることが大事であるとともに、加害の面もみてほしい。被害と加害の両方に向き合うことで、二度と繰り返さないように歴史から学ぶ必要があります。そしてここで学んだことを糧に平和の持つ意味を発信してほしい。とくに若い世代にみてほしいですね」と話しています。

 住所 長野県下伊那郡阿智村駒場711番地の10
 TEL・FAX 0265(43)5580
 開館時間 午前9時半〜午後4時半(入館は4時まで)
 休館日 火曜日(祝祭日の場合にはその翌日)、第2・4水曜日、年末年始等
 入館料 一般500円、小中高生300円
 ホームページ http://www.manmoukinenkan.com/
(つづく)

(新聞「農民」2013.8.12付)
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2013年8月

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