いま注目の柳久保小麦
町おこし、市の活性化に一役
東京都東久留米
作り手が増えれば地域ブランド化も
都心から電車で30分足らず。東京都東久留米市の伝統ある小麦がいま注目されています。うどん、まんじゅう、かりんとう、ラーメンなどに大活躍で、町おこしにも一役買っています。
麦の草丈高くてわら屋根に利用
この由緒ある小麦の名前は、柳久保小麦。1851年、市内柳窪地域の住人、奥住又右衛門氏が旅先から持ち帰った一穂から始まったという説があります。
東京各地に広まり、神奈川など近隣の県でも栽培されました。良質の粉ができ、うどん用として人気があったほか、麦の草丈が高いので麦わらは農家の「わら屋根」にも利用されていました。こうして武蔵野台地は戦前まで、冬の畑は麦の緑で覆われていました。
しかし、この良質な小麦の生産も量産が困難という理由で、戦中に姿を消しました。柳久保小麦の種は農水省生物資源研究所で保管され、東京農業試験所に種が来て、又右衛門氏の子孫、奥住和夫さんが嘱託栽培で育成しています。
2003年に、市内の7人の農家が和夫さんから種を譲り受け、栽培を始め、その年の収量は約1トンでした。その後、変動はありつつも、生産者数、作付面積、収量は増え続け、12年現在で、13人の生産者が30アールの畑を耕し、収量は6トンになりました。
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穂が出始めた柳久保小麦 |
伝統文化として固い信念で栽培
「前市長による『柳久保小麦を町おこしに役立て、市の活性化につなげよう』という提案が実り、市民にも定着してきました」。市産業振興課の道辻正信課長はこう説明します。
生産量が増えるにつれて、ブランド化にも成功。たびたびマスメディアにも取り上げられるようになりました。道辻課長は「今後、少ない収量で、さらに地域ブランド化を図るのかが課題です。もっと作り手が増えてくれれば」と期待を込めます。
03年のスタートから、栽培を続けている高橋重雄さんは、「町おこしに役立ち、畑が荒れるのを防げるなら」という思いから始めました。
「収量は普通の小麦の2分の1から3分の1。草丈が1メートル20センチまで伸び、普通の倍近くあります。強い風雨で折れやすいという欠点もありますが、病気に強く、わらは麦わら屋根や装飾品ヒンメリに利用されています。伝統文化を残していかなくては」と使命感に燃えています。
食品としての活用はどうか。市内で和菓子店を営む則竹浩二さんは、「柳久保小麦を使ったまんじゅうが大人気で、お盆とお彼岸の時期は多忙でてんてこ舞いです」と笑顔で話します。
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自慢の柳久保饅頭(まんじゅう)を前にする則竹さん |
「まんじゅうの皮は、風味がよく、あんとの相性もよいです。水分が多すぎるとだれてしまい、少なくすぎると固くなってしまう。そうならないように工夫しています。先祖から引き継いできたものを簡単に投げ捨ててはだめです」という強い信念をもっています。
行政、議会、商工会そして市民を、「町おこし」の一点で結びつける柳久保小麦。市をあげての取り組みは、麦穂のように伸び続けています。
(新聞「農民」2013.5.6付)
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