「農民」記事データベース20130401-1063-09

昔懐かしい“千歯こき”

横浜市歴史博物館で企画展


200年以上の歴史 ひと目で

 企画展「千歯こき〜こうして横浜へやってきた」が横浜市歴史博物館(都筑区)で3月24日まで開催されました。

 千歯こきは、稲や麦の穀粒を穂から外すときに使われた道具です。その名前には、1日で1000把の稲をこくことができる、たくさんの刃をもっているなど、さまざまな説があります。

 千歯こきが登場するまでは、稲をこくときに2本の棒や管で稲穂を挟み、もみをしごき取っていました。

 千歯こきの歯は、穂(刃)と呼ばれ、江戸時代の17世紀後半には、横木に割竹を穂(刃)として打ちつけた麦用のものが現れます。通常、歯は金属と木製のものがあり、1挺(ちょう)あたり17〜27本ほど使われ、台木に櫛(くし)状に留めてあります。こうして脱穀の作業効率は飛躍的に向上しました。

 また、千歯こきには、墨書や焼印、刻印などの方法で、使用者や製造者・製造地、それを販売した行商人などを表す文字が記されています。

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横浜で使われていた千歯こきがズラリ

 脱穀の主役として

 展覧会では、記された文字を手がかりに横浜で使われていた千歯こきの生まれ故郷を探っていきます。それによれば、遠方の倉吉(鳥取県)や若狭(福井県)などから来ていることがわかりました。行商の足どりや販売方法を記した帳簿や記録文書が展示されているほか、千歯こきの製造・修理の様子も写真や布絵で見ることができます。

 200年以上にわたり、効率のよさを生かして稲こき、麦こきの主役として君臨してきた千歯こきですが、大正時代に入って足踏み脱穀機が登場し、各地で普及が進むと、急速に販売は減少し、昭和の初頭に製造は終わりました。しかし、大切な種もみを傷めずにこくことができたため、昭和の半ばごろまで千歯こきは使われてきました。

画像
千歯こきのある昔の農家の風景

 メモをとりながら

 見学者は、昔を懐かしむ高齢者が多く、お気に入りの千歯こきに投票するコーナーも設けられ、子どもたちもメモを取りながら投票に応じていました。

 同博物館の本間快哉さんは「普段見過ごしてしまいがちな、くらしの中の身近なものに歴史があることを知ってほしい。そしてそれがだんだん変わっていく流れをみてもらえたらいいですね」と話していました。

(新聞「農民」2013.4.1付)
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2013年4月

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