第20回大会の発言から
24回、2万食を炊き出し
被災地支援は今後も必要
山形県農民連 菅原 司さん
山形県の庄内農民連と庄内産直センターは2年間にわたり、被災地で炊き出し支援を行ってきました。
2011年3月19日の宮城県東松島市での支援を皮切りに、今年の1月19日の宮城県岩沼市で計24回、約2万食分を提供してきました。前組合長が猪突猛進型で、震災直後からすぐに準備に取りかかり、動いてから考えるという、いわば“押しかけ”のような炊き出しでした。
私たちは、野外のイベントやバザーを得意としている組織です。請け負う量も800食とか1000食とか、給食センター並みの量でした。農協から大なべを借りることができました。下準備は大変でしたが、お母さんたちが快く引き受けてくれました。
東松島市では当初、支援は、菓子パンと冷たいおにぎりだけでした。被災者のお母さんに「何か困ったことはないか」と聞いたら、「たばこと下着に困っている」という返事でした。
たばこは普通に買うことができましたが、意を決して、女性の下着数万円分を買いました。「この人は大丈夫か」と思われたかもしれませんが、被災者にとっては切実な問題です。
仮設住宅の入居期間は3年間で、残りはあと1年です。次に住む場所も決まっていないのに、「出て行け」というのは許せません。
ご存じの通り、被災地は、復興にほど遠い状況です。引き続き支援が必要です。困っているところに農民連あり。全国のみなさん、復興に向けてがんばりましょう。
青年たちも支援に奮闘
農業の未来発信しよう
農民連青年部 岩渕 望さん
農民連青年部では、震災直後から支援活動に取り組んできました。4月には、部員自ら支援物資の提供を呼びかけ、山形、静岡からかけつけ、炊き出しも行いました。命の源である食で明日をつなぐことができ、全国の農民連のつながりに力を感じました。
翌年は、京都と静岡のお茶農家の部員から“きゅうすプロジェクト”と銘打って、数十キロのお茶、300個以上の急須、10箱のミカンを県内の仮設住宅へ運びました。これは、津波で流され、何も持たずに避難してきた方々に、急須で入れた温かくておいしいお茶を飲んでほしいと始まったプロジェクトです。お茶のいれ方も指導しながら、不安や悩み、要望に耳を傾けてきました。
その後自然災害にあった長野、和歌山、新潟の青年たちも支援に奮闘しました。支援のやり方はさまざまです。私たちは、自分たちができることを考えて実現させています。
昨年、東京で行われた「原発なくせ!7・16 10万人集会」など多くの集会・イベントに参加し、そこで出会った人たちとイベントの企画や農産物を売るなかで交流が広がっています。
また、全国の農民連の協力を得ながら、福島県農業青年サミットを開催しました。農業青年を中心に震災当時を振り返りながら、今後どんな農業を続けていけばよいのかなど活発に語り合いました。
これまで築き上げてきたつながりを生かし、農業の未来を実現するために、多くの仲間とつながって発信していきます。
(新聞「農民」2013.2.25付)
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