“東電は私の生き方・人生奪った”
“お金じゃない”
野菜“引き売り”のバイクおばさん
佐藤益子さん損害賠償かちとる
野菜の「引き売り」を40数年続けてきた福島市飯野町の佐藤益子さん(82)。東電への損害賠償では、東電職員に「お金じゃない。私の生き方・人生を奪われたんだ。それを証明したいんだ」と詰め寄り、損害賠償を勝ち取りました。佐藤益子さんは昨年12月9日に開かれた福島県農民連の第26回総会で、手書きの原稿を用意して発言しました。その一部を紹介します。
毎日の売り上げカレンダー書き
このたび、農民連に参加させていただきました。東電に損害賠償の請求をするという説明会の案内が、新聞の折り込みで入ってきて、お世話になりました。私は野菜の引き売りをしてきたのですが、その時、毎日の売り上げを書いた大きなカレンダーを持っていきました。売れた日には2000円とか3000円とか書いてきました。
ところがあの大震災と原発事故があってから、まったく売れなくなりました。赤いマジックで「売れない」「売れない」と何日も書いておいたのです。それを県北農民連の服部崇さんに見せて「これでも請求でぎっかい?」と聞いたところ、「大丈夫だ。東電の職員を連れでぐから」と言ってもらって、本当に安心しました。服部さんは本当に東電の職員を連れてきてくれて請求することができました。そして、東電はきちんと賠償を払ってくれました。本当にありがとうございました。
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「ひとり暮らしには助かるわ」―中央が益子さん、その左が県北農民連の服部さん |
四十数年前から野菜売ってきた
私は昭和40年ころから野菜売りをしてきました。当時はあらゆる野菜が売れたし、お正月やお彼岸、お祭りの時には、1日に何回も野菜を届けました。そのころから比べたら、いまは本当にたいへんです。若い方には人気はないし、私と同年配くらいの人でないと買ってくれません。でも、「益子さんの野菜は新鮮でおいしい」と、喜んでもらっています。
福島は自然が豊かで、野菜も果物もおいしいところです。それを突然、原発事故の放射能汚染でとりあげられ、なんとも言えずさみしいです。耐えていかなければなりません。地域のみなさんも同じ思いで一生懸命働いています。ある学校の卒業式で、娘の写真を胸に抱いて泣きながら卒業証書を受け取るお母さんの姿を見て、私も泣いてしまいました。一日も早い復旧・復興に心がけ、元気に笑顔で暮らしていけるよう、みなさんといっしょに微力ながらも努力していきます。
(新聞「農民」2013.1.14付)
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