新潟食健連
福島の取り組みに学ぶツアー
「にいがた食と農と健康、教育ネットワーク」(新潟食健連)は6月25、26の両日、福島の復興・再生のさまざまな取り組みに学ぶ「福島視察・交流ツアー」を行い、14人が参加しました。参加者は、福島再生に取り組む人々の力強い姿に感銘を受けるとともに、原発の再稼動を許さず、原発ゼロをめざすことこそ、「フクシマの教訓」との思いを強くしました。
フクシマの“教訓”
それは“原発ゼロ”へたしかな一歩を踏み出すこと
福島県農民連会長の亀田俊英さんの案内で、飯舘村と南相馬市小高地区を訪れました。ここは昨年4月11日に、「計画的避難区域」に指定され立入禁止となり、住民たちは強制的に避難(飯舘村は全村避難)しましたが、つい先日、住民の一時帰宅ができるようになった「避難指示解除準備区域」です。
飯舘村に入ったとたん、景色が一変。セイタカアワダチソウなどの雑草がうっそうと繁茂し、畦道もわからないほどになった田んぼが延々と続きます。固く締め切られた玄関、閉じられたままのカーテン、人の気配はまったくありません。
|
“原発ゼロ”に向け、「フクシマの教訓」を学んだ参加者たち |
南相馬市に入り、亀田さんのお宅へ伺いました。「1年以上住むことができなかった家はそうとう傷みがすすんでいます。準備区域になったとはいえ、昼間しかいられません。電気は通っていますが、水は出ません。それに、ゴミも家の外へ持ち出せません。これでは住み始めることなどまだまだ」と亀田さん。「裏の田んぼは、除染はほとんど不可能です。たとえ、表土を剥(は)いだとしてもその膨大な量の汚染された土をどこへ持っていって、どのように管理するのか、まったく見通しがたっていません。こうした被災地の現実がある中で、野田首相は大飯原発の再稼動を決定しました。絶対に許すことなどできません」と、語っていました。
|
自分の田んぼを見ながら「再稼働は絶対に許せない」と亀田さん |
地震・津波と放射能による二重、三重の被害を受けた地域の復旧の困難さをあらためて思い知らされました。
今、福島に生きる自覚と覚悟もち
翌日は、福島農民連事務所・産直カフェ(直売所)を訪れ、根本敬事務局長から「いま、福島で生きるということ」というテーマで話を伺いました。
このなかで根本さんは、東京電力への損害賠償請求運動について、「農民連が賠償請求を勝ち取るのではありません。農家が農民連に結集し、農民一人ひとりが損害賠償を勝ち取っていくことに意義があります。損害賠償請求は、この地で農民として生き抜いていくという自覚と覚悟がベース。それはまさに“たたかい”であり、仲間をふやすことに直結します。“新しい時代”をつくるさきがけになりたい」と、熱く語ってくれました。
ツアーを終えた参加者は、「原発ゼロへ! にいがた県民大集会」(7月8日)の成功に向けてがんばろうと誓い合いました。
(新潟県農民連 浦登)
(新聞「農民」2012.7.9付)
|