原発に生活奪われた現地みて
“大飯原発再稼働許さない”
福島県農民連と20年近くにわたって米や果樹の産直・交流を続けている大阪府の新日本婦人の会寝屋川支部は、5月19、20の両日、福島を訪れ農家と交流しました。
新婦人寝屋川支部の梶木福枝さんから感想を寄せてもらいました。
新婦人寝屋川支部(阪大)と
福島県農民連が交流
まったく人の姿みえぬ農村地帯
福島には4年前にも農民連さんとの交流で来たことがあります。初夏の緑色、遅咲きの桜や山吹、こでまり、つつじなどが咲き乱れ、今も変わらず美しい。しかし、避難区域の見直しでようやく昼間だけ入れるようになった南相馬市原町にあるKさんの庭にも、つつじや菖蒲、シャクヤクなどが見事に咲いていましたが、めでる人がいない寂しさを訴えているようでした。
会津地方では、田植えや農作業にいそしむ農家の姿が見られましたが、飯館村を通り、太平洋岸の浜通りに向かって行く道すがらの農村地帯にはまったく人の姿が見られず、整備された農地の中で1枚だけあった水の張られている田んぼは試験田とのことでした。福島市など中通りの市街地でも、土曜・日曜の昼間でさえ、さわやかな青空のもとなのに子どもの姿がまったく見られません。
除染もすすまず戸惑う果樹農家
浜通りの津波と地震の被害があったところは、制限区域になっていたため、1年もたつのに手つかずに壊れた家や流された車がそのままです。避難が解除されたといっても放射能除染も進まず、人の住めるところではありません。農民連の米倉庫は津波に襲われ、私たち大阪新婦人に向けた「精米日3月11日付」の米袋が放置されていて、涙がこみあげてきました。
福島市の果樹農家で、無残に皮をはがされ除染されたブドウの木を見せていただきました。「放射能は減っているけど木がどうなるか。ブドウの実にどう影響するのかわからない」と戸惑っておられました。以前は、生産物に誇りを持ち「さらにおいしいものをつくりたい」と楽しげに話されていた農家の方々が、手さぐりで苦労しながら除染のことを話す姿に言葉を失いました。原発が安全に生きる権利を奪い、働く意欲と人間の尊厳を破壊するという現実を突き付けられました。
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果樹農家から「除染」の話を聞く新婦人のみなさん |
つらいなかでも立ち上がる農民
こうしたつらい状況のなかでも、農民一人ひとりが立ち上がり、直接、東電と国に対して交渉し、全面的な損害賠償と原発ゼロの社会を求めてたたかっている姿に心打たれました。農家の方から「福島の米が、農産物が食べられないことへの損害賠償を都市でもおこしてほしい」とのつぶやきがあり、私たち消費者もともに賠償請求するくらいの運動にしなければと気付かされました。
“原発ノー”の世論さらに広げ
国会議員、そして原発のある地域の地方議員は、全員福島に行って学ばなければなりません。生命の前に経済をおくような発言は許されません。電力の大消費地に暮らす私たちも、「原発ノー、大飯原発の再稼働許すな」の世論をさらに広げ、自然エネルギーの取り組みを地域からおこすことが福島への支援になり、子どもたちに未来を手渡すことができると決意を新たにしました。
美しい福島をとりもどしましょう!
(新聞「農民」2012.6.4付)
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