放射能汚染とたたかう酪農家
福島・浜通り農民連会長 杉 和昌さん
関連/高崎市(群馬)に待望の直売所 にこにこ○屋
福島第一原発事故の影響で、福島県の酪農家はいまだに自給粗飼料を与えることができず、たい肥も移動が制限されたままです。浜通り農民連の会長で、福島第一原発から21キロ、南相馬市原町区で酪農を続けている杉和昌さんに、現状と思いを聞きました。
いま酪農やめたら、もう二度と…
この地でもの作り続けたい
いまここにいる総頭数は35頭くらいで、搾乳しているのは15頭ほどです。震災直後の4月に、燃料不足と運送会社が被ばくを恐れて福島県内に飼料が入ってこなくなって、30頭くらい頭数を減らしました。その後、預けていた牛が戻ってきたり、初妊牛を買ったりして少しは増えましたが、それでも震災前の半分程度です。
支援の牧草食べて牛が涙流して喜ぶ
原発事故で自給飼料が与えられなくなり、いまは県の酪農協を通じて購入した、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの輸入乾草を与えています。輸入牧草は産地やコンテナによって、品質がバラバラです。牛もエサに慣れるまで時間がかかります。それなのに次から次へと品質の違うエサに代わり、しかも水分に乏しい乾草ばかりで、牛もたいへんです。先日、農協を通じて北海道から牧草サイレージの支援があったのですが、食べ方がまるで違いました。牛が涙を流して喜んで…。
たい肥も、移動制限がかけられていますが、処理方法はまだ決まっていません。雨露をしのいで保管するか、自分の農地内で処理してください、と言われているだけです。でも酪農は、肥育農家に比べればまだいい方です。肥育農家は広い農地を持っていないことが多く、たい肥は耕種農家に販売していたのに、原発事故でそのサイクルが壊れてしまったのですから。
牛おいたまま避難金に換えられない
福島第一原発が水素爆発した直後、牛1頭1頭に「ごめんね」「ごめんね」と声をかけて、いったんは知人の紹介で新潟に避難しました。でもどうしても牛が心配で、私だけは4日間で戻ってきて、いまは私と両親の3人で酪農を続けています。高2を頭に3人の子どもたちと妻はまだ新潟にいます。
それでもここで酪農を続けるのは、いま酪農をやめて家を空けてしまったら、もう二度と酪農を再開できなくなるのでは、と思うからです。やはり「ものを作ってこそ農民」。ふるさとで、もの作りを続けたい。
牛は生き物です。農業は生き物相手の仕事です。生き物である牛を置いて、逃げなければならなかった――この苦しみは、お金には換えられません。東京電力は、「証明できない損害は支払わない」と言いますが、「証明できる損害」なんてごく一部です。今までできていたことが、原発事故のせいでできなくなった――これはすべて原発事故の損害のはずです。
原発は日本全国にあります。福島のこの経験を全国のものにしていくためにも、ここ福島の地でもの作りを続け、たたかい続けたいと思います。
被災地支援を機に誕生
群馬県高崎市に、東日本大震災の支援活動から生まれた「食でつながる東北支援の直売所(にこにこ○(まる)屋)」が3月20日、オープンしました。場所は高崎問屋町センター(ビエント高崎)の東隣。大型コンテナを改造し、宮城県から届いた海産物と農民連会員が生産した農産物を販売する店です。
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農民連会員がつくった農産物を販売するお店です |
この日は、開店を祝ってイベントとして各種模擬店や餅(もち)つき大会が行われました。少年野球の選手たちが飛び入り参加したり、外国人の応援もあって楽しく盛り上がり、ゴマ餅や辛み餅、きな粉餅にしておいしく食べました。
まだ知名度も低く、ビジネス街の真ん中で休日はお客様も少ないようですが、生産者やスタッフは「大いに宣伝して消費者に支持される店にしたい」と張り切っています。
(群馬農民連 木村一彦)
(新聞「農民」2012.4.23付)
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