手記 私の3・11
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岩手・山田漁民組合組合長 佐々木 安教(63)
「安さんが生きている」
でもこれからが大変
あの日の朝、前の年のチリ地震津波で被害にあったホタテ養殖施設の補修をして、8時ころ家にもどって朝食をとった。その後、この時期にいつもやっている友人のカニ刺し網の手伝いをして昼食をとり、いつもと変わらぬ時を過ごしていた。
目の前の電柱が揺れ地面に亀裂
2時45分ころにカタカタと鳴り出し、次第に大きく激しく、そして長時間続き、立っていられないような揺れに外に飛び出し地面に座った。
近所の玄関の戸が倒れ、電柱が激しく揺れ、地面に亀裂が走った。保育園の子どもたちが、先生につれられて泣きながら高台に避難していく。
1回目の揺れがおさまって、すぐに海に向かって車を走らせた。船に乗りエンジンをスタートさせ沖に向かった。養殖場を通過する時には、まだ海は渦を巻いていない。「これなら行ける」――エンジンを全開させて、さらに沖へ。水位が上がってくるのがわかる。山肌に霞(かすみ)がかかる。「何なんだ」――大島の灯台が半分隠れる。水深80メートルくらいのところで船を停止させ一息つく。船が揺れる。また地震だ。そんな状態が続いて、やがて日が暮れた。雪がちらつき、寒いエンジンルームで体を温める。暗い夜が来た。雪が舞う浜の方から火の手があがっている。油のにおい、黒煙、ガスボンベの爆発音、船のまわりにはテレビアンテナの付いた屋根、冷蔵庫、タイヤなどいろいろなものが流れてくる。陸は大変なことになっていると気づく。
連絡がとれない。火の勢いが増し、夜空を赤々と染めている。しかし、海の上は静かだ。凪(なぎ)が良い。時折、地震が続く。
沖から遠くの暗い夜空に火の手
灯台がない、防波堤もない
“生きている”の声に泣き出す妻
どれくらい時間が経っただろう。東の空が明るくなってきた。やがて大きな船が家をめざして走り出す。1隻また1隻と後に続く。ガレキのなかを静かに港に入る。灯台がない! 防波堤がない! 目に飛び込んできたのは、まさにこの世の地獄だ。言葉が出ない。みんなあ然としている。船を残っている岸につけ、ガレキの山を越えてわが家をめざして歩く。
「安さんが生きている」と、近所のばあちゃんが叫ぶ。家内がうしろで泣いている。「無事だ!」。息子はまだ帰ってこないという。嫁に行った娘とも連絡が取れない。「孫たちは無事か?」。息子は1時間くらいして帰ってきた。1週間くらいして娘とも孫とも連絡がついた。「自分の身は自分で守れ。高いところに逃げろ」
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漁民組合の仲間とともに。左から2人目が佐々木安教さん |
これからが大変だ。光が見えない。しばらくは暗中模索だろう。しかし、全国からの支援を力に、漁民組合の仲間と一歩一歩がんばっていきたい。
(新聞「農民」2012.3.26付)
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