手記 私の3・11
災害復旧・復興を早めて
地域のみんなに恩返しを
宮城県農民連・矢本農民組合会長 三浦勝志(58)
屋根の上で大津波から生きのびてから、早いもので1年が経ちました。震災前は、4人から借地して水稲、長ネギの周年栽培をしていました。その生産組合の長もしていましたが、今年も再選され7年目を迎えました。
「宮城の復興は農業から」と、被災した田畑は復興交付金を使ってほ場整備を行いますが、完成は4年後、高台への移転も4年後です。気の遠くなるような年月がかかります。
地域では農機具も全壊なので、みんなで法人化をめざしています。この4年間、他の産業に従事しながらという生活に疲れて離農を選択しないよう、復興の展望を早めに提示しなければなりません。ネギの調整施設を含めた多角経営として復興計画に盛り込まれるよう、推進委員会による計画・立案を早めたいと思っています。
|
富山県の仲間から激励を受ける三浦さん(右) |
“それまで農の心を忘れないように”と、昨年5月からネギ農家へ夫婦で手伝いに行っています。10月からいとこの加工所を手伝いながら、復興プリンとネギの漬物を試行錯誤しながら研修を重ね、「仕出し・オードブル承ります」と軽トラに書いて注文を取っています。今年1月には、仲間の支援を受けて、仮設住宅に住んでいる方の引っ越しや通院、買い物に利用してほしいと、カーシェアリング・ボランティアを始めました。
震災後の2日目から、災害対策本部のボランティアとして活動したおかげで、小さな体が一回り大きくなったような気がします。16歳で父を亡くした私を、地域のみんなが育ててくれました。災害復旧・復興でその恩返しができればと思っています。
(新聞「農民」2012.3.19付)
|