「農民」記事データベース20120312-1012-17

手記 私の3・11

多くの厚意うけ決意新たに
福島の地で農業続けていく

福島・浜通り農民連 三浦 草平(25)


 3月11日以前は、南相馬市で農業を営んでいました。水稲を中心に野菜と採卵鶏の自己循環可能な複合経営で、“地元に密着した農業を”というのが目標でした。

 3月11日の午前中、まだ震災が起きる前でしたが、地元のケーキ屋さんに卵を納品した時、「もっとウチの卵を使いたい」と言っていただき、とてもうれしかったことを覚えています。しかし、それに応えることができなくなってしまったのが悔しいです。

 震災が起きた後、避難所に指定された小学校の校庭で一夜を過ごしました。寒さと不安で眠れないまま、ラジオから流れてくる「原子力緊急事態宣言」をぼう然と聞いていました。その後は、原発から逃げるようにいくつかの避難所を転々としました。家にはもう帰れない。空気中には、目には見えない「毒」が飛び散っている。食べ物が、薬が、ガソリンが足りない。これからどうなるのかもわからない。震災だけならば、戻ることも戻すこともできたでしょう。ここまで生活のすべてを奪い去る原発の、何が「平和利用」なのか。核兵器の間違いではないのか。

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仮設住宅の前で

 その後は、多くの方々のご厚意に助けられ、前に進む決意をすることができるようになりました。今は、南相馬市に近い新地町で農業の再開をめざしています。放射性物質が、空気や水の流れで移動する以上、福島県を避ければ安全だとは言いきれません。

 逆に、福島県でも安全な農作物を作ることは可能です。事実、昨年収穫された米の99・2%は基準値を大幅に下回るものでした。やみくもに怖がっても、逆に無関心でいても、作る側と食べる側の両方が不幸になるだけです。そのことを伝えるためにも、福島の地で農業を続けていきたいと思っています。

(新聞「農民」2012.3.12付)
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2012年3月

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