手記 私の3・11
今年も迷わず米をつくって
検査やって仮設に届けたい
福島県北農民連 佐々木 智子
2月15日に、仮設住宅に住んでいる双葉町のおかあさんたち10人くらいと、農民連女性部で懇談会を持ちました。昨年10月31日の「原発なくせ集会」の案内チラシがきっかけで、11月にはいっしょにプランターにチューリップの球根を植えました。1月末には、節分用の豆や厄よけの豆の枝と選別していない小豆を届け、「作業しながらおしゃべりできて、とても楽しかった。あんなひとときがほしかった」と聞いて、今回の懇談会が実現しました。
女性部の一品持ち寄りの懇談会は自己紹介から始まり、会話がはずんで「話したい、聞きたい思いいっぱい」の2時間半余りでした。3月11日のあの夜から避難した人たちは、車の渋滞、ガソリン切れ、途中行きかう自衛隊の車両の多さに不安を募らせながら、いつもの何倍もの時間をかけて避難所に着きました。放射能検査の結果、着ているものを脱いで着替えがないため毛布にくるまった人もいたこと。その後、数カ所の避難所を転々としながら、8月になってようやく狭い仮設住宅に入れてホッとしたそうです。賠償金は先の見えないなかで今は使えないなど、避難している人たちの苦悩がうかがえました。また「野菜は毎日必要な食材。野菜をいただけるのが一番ありがたい」と感謝されています。
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支援にかけつけた京都や静岡の青年たちに囲まれる佐々木智子さん(中央)、健三さん(その右となり) |
あれからまもなく1年。いま鮮明に思い出すことは、全国から寄せられた山のような食材や物資と、それを使った炊き出しです。酪農を営むわが家には、夢にも思わなかった大きな牧草が北海道の仲間から届けられ、夫は近づいてくるトラックが涙でかすんで見えなかったと言います。
「ものを作ってこそ農民」「安全な食糧は日本の大地から」、このスローガンが今ほど胸に響く時はありません。今年の作付けを決める時期になって、迷うことなく作って検査して、仮設住宅に住む先の見えない人たちに届けつながっていきたいと思っています。
(新聞「農民」2012.3.5付)
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