「農民」記事データベース20120220-1009-08

手記 私の3・11

出会いの数だけ涙したけど
戻ってきた笑顔に励まされ

岩手県農民連女性部 伊東 庚(みち)子(68)

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 その日は、重税反対集会の日。街路樹につかまり、恐怖に耐えた大地震のあと、私の里の陸前高田市が巨大津波に襲われたという衝撃の事実を知りました。

 次々と恐ろしい情報にふるえが止まらない3日目、道が通れることを知り実家に向かいました。峠越えで対向車を止め、「陸前高田に入れますか」と聞くと、「高田の街はもうありませんよ」との返事にがく然としました。市街地まで8キロも手前でガレキの山、ふるさとのあまりの変ぼうに言葉を失い…。

 実家の近くの避難所のお寺を訪ねたときに見た、雪の降る寒い庭先でたき火で暖をとっていた人たちのうつろな目。今でも忘れられません。一人の男性が、「何食も冷たい握り飯だけだ。あったかい汁が食べたい」と涙ながらに訴えた言葉に、それなら私でもできると奮起し、さっそく帰って食材を集め、汁作りを始めました。

 岩手県連の事務所には、全国から救援物資が続々と集まりだし、それをガソリン不足のため車をリレー方式でつなぎながら私のところまで届けてくれました。そして、女性部のおかあちゃんたちを中心に、あたたかい汁や食材、物資を連日、被災地に運びました。全国のみなさんの敏速な行動力、思いやり、底力のすごさに感動し、農民連の一人であることを誇らしく思いました。

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女性部がとりくんだ「青空ゼロ円市場」―被災地と心をつなげました

 足を運ぶごとに心を開き、重い口をあけてさまざまな要望を出すようになった被災者のみなさん。その出会いの数だけ涙しましたが、私たちを待つ顔に徐々に笑顔が戻ってきたことにも励まされて、炊き出しはのべ120カ所以上に。

 身内・知人の生活を、そして大切な親友たちの命を奪った悪夢の「3・11」ですが、多くの出会いの中で真の思いやりの大切さを知ったのも「3・11」でした。被災地のみなさんにとっては微力でしょうが、ともに支えあいながらの長いお付き合いです。私の「3・11」はこれからも…。


(新聞「農民」2012.2.20付)
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2012年2月

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