祝 新聞「農民」1000号
質・量ともにさらなる飛躍を農民連会長 白石淳一さん新聞「農民」が1000号を迎えました。1985年5月1日に「農民運動全国懇ニュース」として創刊され、1986年に「全国農民新聞」、1989年に「農民連新聞」、1993年に新聞「農民」と、名称を組織の発展にふさわしく改称しながら今日にいたっています。読者や会員のみなさんに支えられたからこそ発刊が続けられ、今日を迎えられたのであり、みなさんのご支援に心から感謝申し上げます。 新聞「農民」は、創刊当時からその時々の農業・食糧、政治の問題を指摘し、全国各地での運動を呼びかけてきました。そして、たたかいを組織し前進させるためには、新聞「農民」の役割が決定的だったと言っても過言ではないでしょう。新聞「農民」読者のJA組合長さんが「情報はたくさんあるが、新聞『農民』の指摘は事の本質を突いている。だから、必ず目を通すようにしている」と話していますが、本当に励まされます。 また、「農の息吹が伝わる」と大変ありがたい反応も寄せられます。これは、全国各地から四季折々に寄せていただいているたくさんの通信のたまものです。 新聞「農民」の1000号を節目に、質量ともにさらなる飛躍をめざそうではありませんか。
赤城山麓にてそばの収穫群馬・渋川市 廣〓昇一※1
国民との共闘大事にする新聞元農民連代表常任委員 小林節夫さん農民連が結成され、新聞の編集体制も整うなか、編集会議は地方の役員も含め本部の職員全員が参加して自由な討議をしました。これは今も続いていると聞いていますが、こういう編集会議はほかの団体には例がないのではないでしょうか。また、「ほかの団体もやっているように、記事を外部に委託してはどうか」と持ちかけられた時に、それを断って「みんなで作ろう、もの言う農民」をスローガンに掲げ、「みんながものを言い、みんなで記事を書こう」という基本を決めたのです。 さらに、いまの新聞名に決めたときに、「農民」という題字の下に「食と農を守る共同を」と加え、国民諸階層との共同を大事にする新聞にしようと確認しました。
そして何よりも、新聞「農民」がこれらのことをめざしながら1000号まで発展することができたのは、組合の単組や班の人たちが、日常不断に配達・集金というたいへんな実務をこなしてきたからです。 情報がアメリカ発、財界発のなかで、新聞「農民」は国際的な視野で報道し、運動に展望を与えています。更なる発展を期待しています。
全国の仲間の大きな支えになって教育評論家 三上満さん食うものだけは自給したいこれは戦後開拓10周年に、岩手の開拓者たちに贈った高村光太郎の詩の一節です。この詩を光太郎に要請したのは、宮沢賢治の親友で、戦後開拓者となって原野に挑んだ藤原嘉藤治でした。嘉藤治は、「賢治精神を受け継ごう」と志して音楽教師をやめ、自ら開拓者となったのです。 日本の農地・美しい田園は、こうした数知れない「地人」たちの血のにじむ努力によってつくられてきた宝ものです。豊かで安全な食糧は日本の大地から――これはまさに「天地の理」です。この「天地の理」にそむくTPP(環太平洋連携協定)参加を決して許すわけにはいきません。 1000号を迎えた新聞「農民」が、「つくってこそ農民」と挑む全国の仲間のいっそう大きな支えとなって成長・発展することを、心から期待します。 最後に光太郎の詩の一節をもうひとつ。
開拓の精神を失う時 人類は腐り
※1橋の異体字 (新聞「農民」2011.12.5付)
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[2011年12月]
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