放射能汚染地帯を行く
リポート(5)福島・飯舘村
フォト・ジャーナリスト 森住 卓(たかし)
金なんかいらねぇ、餌もって来い
「金なんかいらねえから餌もって来い。1回目の賠償請求をとっくに出したのに東電からは音沙汰(さた)なしだ」―福島県伊達市霊山町の酪農家、菅野伸一さん(53)は、牧草地が汚染されて餌がない、輸入乾草を購入したが資金が底をつくと悲鳴を上げている。
「30キロ圏内や計画的避難区域の酪農家は廃業し、これからは賠償が大きな問題だけれど、草地が汚染した区域外の酪農家はこれから厳しくなるぞ」と、飯舘村の酪農家が話していた。
8月16日、伊達市霊山町上戸草地区を訪ねた。ここは飯舘村の北西の山を挟んで隣接している。福島第一原発の事故直後から北西の風に乗って放射性物質が飯舘村を通過し運ばれた地域だ。伊達市内でも放射線量が高い場所だ。
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菅野さんはここで父親の後を継ぎ、30年間酪農を続け、5年前から息子も後を継いでくれた。
この地域の酪農は「草地酪農」と言い、牧草から粗飼料を自前でつくり牛の餌にしている。その草地が汚染されてしまった。この地方では通常、牧草を5月の一番草、7月の二番草、10月の三番草と年3回刈り取りする。刈り取った草は乾燥させ、ロールにして、ビニールをかけラッピングし翌年まで保存しながら牛に与えている。自然に発酵して乳酸菌を含んだ草は、漬け物のような甘酸っぱいにおいがし、牛も喜んで食べる。主に粗飼料を食べさせ購入した栄養価の高い配合飼料を補助的に与えながら育てている。
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牛が菅野伸一さんの腕をなめた。一旦作業の手を休め、牛に腕をなめさせてあげていた(8月15日、伊達市霊山町) |
菅野さんは年間800ロール収穫する。およそ、重量32トンになる。「一番草はいちばん栄養があんのよ。この猛暑を乗り越えた牛は体力も落ちているので、9月になったら一番草を与え体力を回復させるが、今年は食べさせられない。購入した乾草では栄養価が少なくて、牛も食いがわるい」と菅野伸一さんは言う。
飼料自給率高いウチほど大きな痛手
事故後、購入した粗飼料代はすでに450万円を超える。「このままでは来年3月までには1000万円以上購入しなければならないだろう」「飼料を買う資金がない酪農家はいっぱいいる」「うちだってもう、やっていけない」。しかも「円高で輸入飼料は安くなっているはずなのに値段が
下がらない。商社がぼろもうけしているんじゃないか?」と悔しそうにたばこに火を付けた。
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菅野牧場は父親の忠信さん(74)が、52年前、息子の伸一さんが生まれた時1頭の子牛を北海道から買ってきて始めた。「この地方は夏、低温で作物が作れない。草なら育つと酪農を始めた」と50年前を振り返った。そして、規模拡大をはかり、子から孫に引き継がれてきた。
国や県は、飼料の自給率を高める政策を推進してきた。菅野さんは、廃業した酪農家の農地を借りて草地を増やし、今では18ヘクタールの草地を持っている。そのため機械力に頼らざるを得ず、トラクターを5台購入した。おかげで飼料は、90%を自家製粗飼料でまかなえるようになった。皮肉にも自給率の高い酪農家ほど痛手が大きい。
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緩やかな山の斜面を切り開いた草地の端に、ラップに巻かれた一番草のロールが300個も保管されている。放射線が高いところでは、毎時18マイクロシーベルトを超える。菅野さんの牧草地はとりわけ線量が高く、独自に農協に頼んで測ったら、一番草は3万4000ベクレルの放射性物質を含んでいた。二番草は、県の測定で高いところで1900ベクレルあった。三番草も刈り取ればおよそ800ベクレル以上の汚染した草が出る。重量はおよそ32トンにのぼる。
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「汚染した一番草を早く処分してほしい。補償は請求したばかりでまだだ。いつ、もらえるのかわからない。“金より草もってこい”―このあたりの酪農家は切実だ」と言う菅野さん |
この汚染した草の処分をどうするのか、まだ、政府も県も決めていない。「責任は東電と政府にあるんだから、早く草地の除染をして、元に戻してほしい。このままでは来年だってだめかもしれない」と菅野さんは言った。
(新聞「農民」2011.9.12付)
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