放射能汚染地帯を行く
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子牛の値がせりあがっていくボードをじっと見つめる志賀百合子さん(左端)=6月29日、本宮市の競り市会場 |
この日で飯舘村の乳牛はすべていなくなった。「いつになったら村に戻れるのか。戻ってもこの歳では酪農を再開できないだろう」―それぞれの悩みを抱えながら11戸の酪農家は、避難先での仕事探しや県外の牧場で働くためにちりぢりになってしまった。
2カ月ぶりに訪れた長谷川健一さん(53)の畑は、青々と夏草がおい茂っていた。この畑は例年なら、飼料用のデントコーンが腰の高さまで伸びているころなのだ。原発事故後、長谷川さんはこの畑に出荷できなくなった原乳を3カ月間も捨て続けなければならなかった。脂肪分が固まって土中にしみこまなくなった原乳は腐敗し、チーズのような異臭を放っていた。周囲の牧草は放射性物質で汚染され、刈り取りができない。牧草地はいまだ200万から50万ベクレル以上の放射性物質で汚染されている。ちなみに、チェルノブイリでは55万5000ベクレル以上の地域は強制移住地域となっている。
長谷川さんは畑に目をやって「いつもなら5時ころからトラクターに草刈り機を取り付けて、朝食の時間まで草刈りをしているんだあ」と、肩を落とした。前田地区の区長をしている長谷川さんは、全村避難した村の警備をするため、村が作った「見回り隊」に参加している。「緊急雇用創出事業によるいいたて村全村見守り隊員募集要綱」(飯舘村)によると、募集人員290人、雇用期間は来年の3月31日までで、事業費のうち人件費6億6000万円の予算がついている。「ふるさとを愛しているから、離れている間に盗難や犯罪から村を守るのが仕事だ」と長谷川さんはいう。
一方、年間20マイクロシーベルトの被ばくをしてしまう恐れのある地域として、国は飯舘村を計画的避難区域に指定したが、「他に働くところがないし、収入を得るために仕方なく参加している人もいるんだ。290人の雇用を確保したと言っても、ひきかえに村民が被曝を積み重ねることになる」と、佐藤八郎村議は言う。
計画的避難区域に指定されて3カ月が過ぎた。村に残っている人は7月1日現在で150人ぐらい(飯舘村役場)だという。しかし実際は、操業を続けるために村に残った企業の労働者や、避難先から戻っている住民などおよそ1500人以上いるのではないかという。「計画的避難て何なの?」と、住民の誰もが首をかしげる。
「心配していたことが起こってしまった。すべての希望を絶たれてひとりぼっちになってしまった。飯舘村では酪農家がまとまって行動しているから、辛い時に声を掛け合えるが…」と、訃報を聞いた長谷川さんは本当に悔しそうだった。原発事故以来、農民の自殺者は2人目になった。
相馬市の酪農家の遺言(撮影=長谷川健一) |
長谷川さんと酪農家仲間が「飯舘村のおれたちの経験や気持ちを全国の人に知ってほしい,そのために講演に呼んでほしい」と呼びかけている。「原発事故でふるさとを奪われた飯舘村で何が起こっているのか、ぜひ知ってほしい」と。
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[2011年7月]
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