西野恒次郎さんを偲しのぶ
農民組合大阪府連会長 原 弘行
去る5月25日、元農民組合大阪府連副会長で食農大阪府民会議前会長の西野恒次郎さんが、86歳で亡くなられました。一昨年3月、農民組合北攝支部協議会総会での講演の一部を紹介して、追悼の言葉とします。
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「1951年、この池田市の五月ヶ丘の区画整理から始まった大規模開発。そして1960年代には、まさに大規模な土地取り上げとのたたかいの連続でした。私は34歳から43歳まで市会議員をやりながら、どこ走ってるかわからんほど、この問題に取り組んできました。
これが終わったと思ったら、今度は直接土地を取り上げるようなやり方ではなしに、“真綿で首を締める”ような『新都市計画法』の線引き、そして『宅地並み課税』という新しい農地の収奪です。農協、農業委員会、農民組合などが集まって、1000人規模の大集会がもたれ、大阪の農家はどこでも立ち上がって、今までにない大きな力を発揮したことはご承知のとおりです。
そういう時代が終わったと思ったら、1993年12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日ですわ。細川内閣が米の輸入自由化を認めたんです。こっから農産物総自由化の時代が始まってまんねん。土地の取り上げで散々苦しめといて、今度は米で攻撃や。米だけやない。野菜も含めた全面自由化や。食品の安全基準は全部緩和する。これらが今日のわれわれの苦しみの原因になっているんです。
アメリカや大きな企業が自分のもうけのために農業を犠牲にする、こんなやり方をどないぞして変えたいな。死ぬまでにこれをやり遂げてから死にたいなと考えて、食料の安全と安定供給、農業再建に執念こめてほんまに気張らないかん時や、という意気込みでがんばっております。
もうちょっとゆっくりやらせてもろたら、味のある話もできたんですが、これでご勘弁をいただきたい」
(合掌)
(新聞「農民」2011.6.13付)
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