放射能汚染地帯を行く(下)
リポート 福島・飯舘村
フォト・ジャーナリスト 森住 卓たかし
コメ作るな 田畑耕すな 補償は何も
なにも決まらず不満・怒り爆発
「今さら避難と言われても、なにも決まってない。決まっているのは作物を作ってはならないということだけだ。補償が確約できなければ避難したくても動けない」と、不満が爆発している。高橋幸吉さん(56)は父親と息子たちで和牛、コメ、野菜、花などを作っている。息子が後を継ぐと言うので、昨年トラクターなどを買った。ハウスなどの設備投資で1000万円の借金がある。「もう返済できねえ」と肩を落とした。ハウスの中にはホウレンソウが青々と育っていた。ハウスの中だから汚染していない。「近所の人に配っているが、配りきれない。持って行くか?」と、お土産にたくさん頂いた。「コメも作るな、何も作るな。田や畑は耕すな。でも補償はなにも具体的になっていない。殺されるのをじっと待っているようなもんだ」と、高橋さんは怒りを押し殺して言った。
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出荷停止になった小松菜を捨てる農民(4月15日・飯舘村前田地区) |
飯舘村は和牛の育成で、「飯舘牛」として福島県内では高値で取引されている。村にはおよそ1800頭の和牛が繁殖、肥育されている。「わが子同然にかわいがってきた牛を残して避難はできない。公共牧場に避難させるというがまだ決まっていないから、おれたちは最後まで残る。牛の行く末を見届けてから出て行く」と鴫原昭二さん(52)は言う。
原発推進の巨大な敵とどうたたかうか
いつになったらまだ先が見えぬ
4月17日、枝野幸男官房長官が飯舘村を訪れた。村長への開口一番の言葉は、「健康被害を出さないでここまできた」だった。原発を推進してきた反省の言葉や、避難が遅れ大量の被曝(ばく)をした村民の今後予想される健康被害についてはひと事もなかった。「どのくらい避難すればよいのか。避難先での生活保障はどうなるのか。残した牛はどうなるのか。田や畑はいつになったら作物が作れるようになるのか」、まだまだ先が見えない。
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積算線量計を持たされて毎日被ばく線量を記録している。「避難させずに被ばくさせて、これからその影響を研究されるんだろうな。でも、俺たちはモルモットじゃねえ」(4月16日・飯舘村蕨平) |
「いつもなら忙しい時期になるのに、種まきの準備もできないで、今年はこたつに潜ってじっとしている」と、高橋幸吉さんはぽつりと言った。4月19日、村は季節外れの大雪で一面銀世界に戻った。しかし、小川の土手のネコヤナギは確実に膨らみ、本格的な春の到来を告げている。放射能という見えない敵と戦いながら、電力会社と、原発を推進した国というもう一つの巨大な敵にどう立ち向かって行くのか。村人は模索を始めようとしている。
(おわり)
(新聞「農民」2011.5.16付)
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