「農民」記事データベース20110425-970-08

復興・支援の拠点できたぞ

全国の仲間の激励をうけて
浜通り農民連の事務所再建

“農業続けられるよう全力”

関連/みかん・野菜 13トン車に満載


 津波の甚大な被害と放射能汚染で困難を抱えている福島・浜通り農民連は、新たな事務所を別な場所に確保し、再出発の準備が始まりました。

 4月7日、福島市で仕入れた机や本棚などを車に積んで、事務所引っ越しの手伝いに行った福島県連事務局の岩渕望さんは「浜通り農民連の事務局員、横山真由美さん、米本操さんも相変わらず元気でよかった。事務局長の中井さんの案内で、会員を訪問しましたが、『わざわざ来てくれてありがとう』と目をうるませる会員さんもいました」と話していました。

 また、8日に南相馬市の会員へ支援物資を届けた菅野瑞穂さんは、「津波の被害には言葉を失いました。それでも、現地でがんばっている人たちを見ると、手助けしなければという自分の使命も感じます。被災された方々が、全国の農民連の仲間から届いた新鮮な野菜を受け取って喜んでいる姿を見ると、農業を本当に大切にしなくてはいけないと思いました。今後、放射能汚染の影響で農業を続けられるのかどうか、その見通しもわからないままですが、今できることに目を向けて行動し、今の現状を全国に発信していきたい」と、感想を寄せました。

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浜通り農民連の事務所前で(4月8日、前列右側が菅野さん)

 事務局長の中井信也さんは「全国の仲間から物心両面の激励を受け、感謝しています。ようやく支援・復興の拠点ができました。まずは会員を訪ね相談にこたえながら、以前のように農業が続けていけるよう全力をあげたい」と決意を述べています。

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新しい事務所に机を運び入れる中井事務局長(中央)ら

 【新たな住所】〒976―0011 相馬市新沼字一反田239―2(電話は未設置)


みかん・野菜 13トン車に満載

農民連四国ブロック 宮城・岩手へ1400キロ遠征

 農民連四国ブロック協議会は4月6日、愛媛食健連と共同で、愛媛県内と徳島県鳴門市で農産物などの救援物資をトラックに満載し、宮城・岩手両県に向かいました。

画像 13トントラックが愛媛県西部の大洲市を出発したのは、この日の朝5時半。その後、最南端の愛南町から吉田町、宇和町、直売所「百姓百品」のある西予市野村町、内子町、松山市、今治市と県内8カ所を巡回して、柑橘(かんきつ)やみかんジュース、米、野菜、タオルなどを積み込みました。

 「野菜や柑橘は端境期ですが、みんなの『なんとかしたい』『助けたい』という気持ちが強く、緊急な提起を正面から受け止めてくれた」「なかでも“百姓百品”は、農家にチラシで訴え、たくさんの救援物資を集めてくれた」と、愛媛県農民連の大野政信書記長。「予定した10トン車だったら積み残すところだった。みんなの思いをこぼさずに受けとめられてよかった」とも話していました。

 松山市の愛媛生協病院での積み込みには、愛媛食健連などから15人が参加。福島県南相馬市から避難してきたNさんも駆けつけ、「今日は人の温かさ、やさしさをすごく実感することができた。これからは被災地に残っている人たちを助けたい。よろしくお願いします」と訴えると、集まった人たちは涙をこらえきれず聞き入り、救援物資の積み込みにもいっそう力が入りました。

 その後、徳島県鳴門市に到着し、徳島県連の松本聖会長が出迎えました。特産のレンコンをはじめキャベツ、ダイコン、ネギなどの野菜と日用雑貨を積み込み、夜8時に東北をめざして出発。

 トラックは、翌7日午後3時に宮城県連に到着。柑橘や米など物資の約3分の1を降ろし、代わりに関東ブロックから届けられた野菜などを積み込んで岩手県へ。盛岡市の県連事務所には8日の早朝に着きました。なんと1400キロの遠征でした。

 なお、高知県連は宅配便で救援物資を福島に届け、特産の文旦も送りました。

(新聞「農民」2011.4.25付)
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2011年4月

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