身も心もあったまった、涙が…
他の団体と協力し
農民連が炊き出し手際よく
関連/被災・三陸沿岸に食料届け 米や野菜作り支援続けたい
宮城・女川
約800人が避難している宮城県女川町の総合体育館。4月3日、宮城農民連は、山形・庄内産直センターと地元の年金者組合などの協力を得て、豚汁の炊き出しをしました。これは、「なんとかあったかいものを」という避難所からの要望にこたえたもの。
この日、朝4時に現地を出発した庄内産直センターは、JA鶴岡から借りたいも煮会用の大鍋と食材持参で協力。調理主任の菅原司さんは“800人分は新記録”と言いながらも手際よく豚汁を仕あげ、宮城農民連や年金者組合のみなさん、避難者から名乗りをあげた人たちなど、およそ60人のスタッフで800人分の豚汁をスムーズに手渡しました。
4月というのに寒風吹き付ける屋外で、熱々で肉も野菜もたっぷりの豚汁は大好評。避難所の運営にあたっている筧(かけい)さんは、「自分もいただきましたが、ほんとうに暖まりました。避難所のみなさんも、子どもたちも非常に喜んでいました。ありがとうございました」とお礼を述べ、60代の男性は「身も心もあったまった。涙が出るよ」と話していました。
庄内産直センターの阿部和香さんは「現場の光景は衝撃的で、被災されたみなさんの気持ちを思うと胸が締め付けられます。少しでも喜んでもらえてよかった」と、話していました。
宮城農民連の鈴木弥弘事務局長は「小さくても顔が見えて心の通う救援に力を入れているが、規模の大きなとりくみも、他の団体との共同や各地の農民連の協力も得ながら進めたい」と語りました。
盛岡産直センター 今松 利雄さん
岩手県の内陸部、盛岡市から三陸の沿岸部に行くには、東京に行くのと同じくらい時間がかかります。内陸部から三陸へ、北上山地の峠越えはカーブが多く、まだ雪の残るこの時期は、搬送にもきびしい時期です。しかし、三陸の人たちとは、いわて生協を通じて収穫体験交流などを行ってきました。仲間意識も強いと思っています。
古来から、畑地の少ない沿岸からは魚や塩が内陸部に送られ、内陸部からは米や野菜が浜に、という関係でつながってきました。
越冬野菜もなくなり、残っているのは米とジャガイモ、ハウスホウレンソウくらいなもの。
食料の受け入れに立ち会ってもらった宮古市の落合久三さんの話では、復旧のためにボランティアを希望する人が600人以上にも及んでいますが、200人ほどしか受け入れる施設がなく、歯がゆい思いをしているとのことでした。
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左端が今松さん |
被災地に入って、復旧には長い時間がかかることを痛感しました。内陸部に住む私たちができることは、米や野菜づくりに精を出し、支援を続けることです。
(新聞「農民」2011.4.18付)
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