東ティモール農協づくり視察して
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現地での聞き取り―エルメラ県サココ青年開発グループで(右から2人目が筆者) |
東ティモールが独立するまでの苦難の歴史(別表)は、この国が掲げている国旗にも表現されています。16世紀以来、ポルトガルの植民地であったこの国は、第2次世界大戦後、隣の大国インドネシアに苦しめられ、おおくの血が流された後に、ようやく3度目の独立を勝ち取リました。
〈苦難の歴史〉
16世紀以降、ポルトガル領。
1859年、西ティモールをオランダ領に割譲。
第2次大戦中、日本が占領。敗戦後、ポルトガル総督府の支配が復活。
1949年、西ティモールがインドネシアの一部として独立。
1974年、ポルトガルで独裁体制が崩壊し、フレティリン(東ティモール独立革命戦線)が活動を開始。インドネシア・スハルト政権が介入。
1975年、フレティリンが独立宣言。しかしインドネシア軍が東ティモール全土を制圧。
1976年、インドネシアが27番目の州として併合。国連が非難決議。米・欧・豪・日などは黙認。スハルト政権が弾圧、20万人が犠牲に。
1991年、スハルト政権が平和デモに無差別発砲(サンタクルズ事件)。
1998年、スハルト政権が崩壊。特別自治権の住民投票を提案。
1999年、国連ミッション監督下で住民投票。特別自治権を拒否、事実上独立が決定。しかし、インドネシア治安当局が破壊と虐殺(東ティモール紛争)。国連が暫定行政機構を設立、独立へ導く
2002年5月、独立式典を開催。
2006年、再び反政府暴動。国連の平和維持活動でようやく治安が回復。
[2011年3月]
農民運動全国連合会(略称:農民連)
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