新聞「農民」編集部元記者
山口安三さんを悼む
埼玉農民連 西村 正昭(新聞「農民」元記者)
昨年12月31日、以前、新聞「農民」編集部で働いていた山口安三さんが、脳出血のため81歳の生涯を閉じました。
山口さんは、「しんぶん赤旗」編集局でいっしょに働いていた塚平廣志さん(当時、新聞「農民」編集長)の誘いで農民連に来られ、新聞「農民」編集部の整理担当として尽力されました。「しんぶん赤旗」の整理部長をしていた山口さんは、塚平さんが言うように「第一級の整理記者、ジャーナリスト」でした。
新聞「農民」編集部に来られた山口さんは、紙面作りに心血を注いでこられました。私が取材し書いた記事について、山口さんから「もっと本質をついた内容にならないか」「この記事のポイントは何か」などと何度も指摘され、記者としての取材のあり方や心構えを教えられました。私の不十分な記事でも、山口さんが見出しをつけて割り付けをすると、読者にわかるような紙面にできあがってしまったものです。
山口さんは、「生涯にわたって新聞『農民』の仕事をしたい」というほど、農民連と新聞「農民」に心底ほれ込んでいました。しかし2年前に病気になり、自分の思うような仕事ができなくなり、「初めて男泣きした」と奥さんから聞きました。
同じ地域(東京都足立区)に住む私は、病気療養中の山口さんを何回も見舞いました。そのたびに山口さんから、農民連と新聞「農民」の発展を心から願う話を伺いました。「今度の農民連大会には、ぜひいっしょに参加しよう」と話しあっていたのですが、残念ながらかないませんでした。農民連大会では、山口さんの意思を継いでいくことを誓い、参加者全員で黙とうを捧げました。
山口安三さん、本当にお疲れ様でした。安らかにお眠りください。
(新聞「農民」2011.2.14付)
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