山地開拓して今年40年目
苦労は自然とのたたかい
梨づくりで生きがいある生活
広島県「世羅大豊農園」
広島県の中央部に位置する世羅(せら)町。その中心部、標高450メートルほどのなだらかな高原に梨園が広がります。1973年に設立し、9戸の農家が協業で梨づくりに取り組んでいる農事組合法人「世羅大豊農園」(上田隆三組合長)を、地元の木戸菊雄さん(広島県農民連副委員長)と訪ねました。
(赤間 守)
3代目の後継者も育つ
日本農業賞大賞
約40ヘクタールの農地に1万本の梨の木が枝を伸ばし、年間1000トン余を生産する大豊農園。1993年には直売所「山の駅」を開設し、2000年には日本農業賞大賞も受賞、3世代目の若い後継者も誕生しています。
「梨づくりの一番の苦労はなんですか」と尋ねると、祢〓谷(ねぎや)全(たもつ)さん(専務理事)は「やっぱり自然でしょうね。このあたりは、雪もかなり積もり、氷点下10度を下回る時もあります。あまりにも暑かったり寒かったりすると、梨の木はゆっくり休めません。人間と同じですよ」と言います。昨年は、春先の低温から始まり、梅雨時期の豪雨、夏は連日の猛暑とたいへん厳しい1年でした。全国的にも果実の不作がめだちましたが、ここでは幸い収穫量もあがり、市場から高い評価をもらったそうです。「今年も天候に負けず、おいしいと喜ばれるようがんばりたい」と祢〓谷さん。
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たくさん実った梨の木の下で大豊農園のみなさん(ホームページから) |
当初は素人ばかり
しかし、ここまで安定して生産できるようになるまでには、数多くの苦労がありました。一(いち)から始めた梨づくりですが、牛を飼っていた人や稲作をやっていた農家、はたまた家具屋で働いていた人や自動車の会社を辞めた人など、1人を除いて梨づくりは素人ばかり。しかも、ここは農地開発事業で山を削って畑地にしたところで、「赤っぽい土で石ころが多かった。やせた土地だったよ」と木戸さん。5年くらいは出荷できず、野菜をつくって生活をしのいでいた時期もあったそうです。祢〓谷さんは「いま思えば、ずいぶん苦労したなあ」と、設立当時のトタン屋根の倉庫を感慨深げにみつめます。
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設立当時の倉庫の前で祢〓谷さん(右)と木戸さん |
「収穫が終わり、葉が落ちると木は眠りに入ります。おいしい梨をつくるには、この時期の剪定(せんてい)・誘引がとても大切な仕事です」と、農家は寒いなか、1本1本の木を剪定し、ひもで棚に誘引する作業が続きます。「いま、3代目にあたる後継者が3人いるんです」とうれしそうに教えてくれました。
地域密着を大事に
少年サッカーや阿波踊りなどのイベントも企画し、地元に密着したふれあいの機会を大事にする大豊農園。掲げる目標は「梨づくりを通じて豊かな人間関係を作り、生きがいある生活」です。
〓は、宜のうかんむりがわかんむり。
(新聞「農民」2011.1.24付)
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