「農民」記事データベース20100419-921-06

私と農業


農家も堂々と声を出そう

全国商工団体連合会会長 国分(こくぶん) 稔さん

画像 私は1937年に、現在の福島県須賀川市の農家に生まれました。中学校を卒業して東京に出て以来、ずっとこの地域(足立区千住周辺)で金属加工の仕事をしてきました。住み込みの工員から出発して自分の会社を興し、今は子どもたちが工場の中心です。

 たいへんな食糧難

 父親は職業軍人で、終戦直前に戦死しましたので、戦後は祖父母と母が農作業をしました。たいへんな食糧難の時代で、米はほとんど全部供出させられ、農家でもイモや大豆、ダイコンなどが食事の中心でした。農繁期には学校は休みになるし、学校行事でイナゴ取りや落ち穂ひろいもしました。田んぼでドジョウを捕って町の病院に売りに行くと、喜んで買ってくれました。

 凶作になると国中が不況になる。農業が国の基(もと)だということが、切実に理解できた時代だったと思います。

 一緒に考えよう

 自分の工場をもってから、地域の民主商工会(民商)に入り、革新都政をつくる運動に加わりました。美濃部都知事の下で、無担保・無保証融資など、中小業者の経営を支える施策が次々に実現したよい時代でした。

 当時の民商の仲間には、お米屋さんや八百屋さんもたくさんいたのですが、農家が少なくなったように、最近はスーパーなどに押されてすっかり減ってしまい残念です。買い物に行くと、料理法なども教えてもらえたのですが。

 いまは、取引先や子どものところへ行くついでに、道の駅に寄るのを楽しみにしています。直売所で野菜をたくさん買ってくるのです。とれたてのりっぱなダイコンとか、うれしくなりますね。本気になっていいものを作れば、消費者は必ず理解してくれると思います。

 自分たちがつくった新鮮で安全・安心な農産物を町で暮らす多くの人に届けたい、そして納得のいく値段で売りたい、というのは農家の人たちの願いだと思いますが、販売ルートを確保するのはなかなかたいへんでしょう。一方で町の商店街も、どうやって元気を取り戻すか、悩んでいます。農民連と民商がお互いの得意分野を生かしていっしょに考えれば、新しい知恵が出るのではないか。そんな機会もつくってみたいですね。

 農業は基幹産業

 農家のみなさんにはもっと誇りをもってほしい。農業は基幹産業です。米が足りない時代を経験している私は身にしみてそう思うし、今日のように耕作放棄地が増えて大丈夫なのか、というのは国民の多くが共有している不安だと思います。じっとがまんしている時代ではありません。堂々と声を出して自分たちの要求を訴え、消費者の理解を得ていくことが必要ではないでしょうか。

 町工場の経営も厳しいですが、跡とりが戻っている工場もあります。親が誇りをもって、楽しそうに仕事をすることがいちばん。グチを言っているだけではダメです。

(新聞「農民」2010.4.19付)
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2010年4月

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