ハイチ大地震被災の現地リポート(上)
NGO「ハイチの会」 熊谷雄一さん
大地震で甚大な被害を受けた中米・ハイチ。現地で農業支援に従事中に被災したNGO職員、熊谷雄一さんのリポートを、2回にわたってお伝えします。
熊谷雄一(くまがい・ゆういち)
青年海外協力隊としてアフリカ・ブルキナファソで野菜栽培技術を支援。2004年からNGO「ハイチの会」スタッフとしてハイチの小学校運営や給食、農業支援等に携わる。大地震の際は、震源地から10キロの地点をトラックで移動中だった。
人口過密の首都を直撃
雨季が始まり 懸念される2次災害
現地時間1月12日午後4時53分。ハイチを襲った大地震は23万人という甚大な数の犠牲者を出した。100万人以上が家を失い、現在もそのほとんどが避難所生活を送っている。雨季が始まったにもかかわらず、いまだにテントすら確保できない人たちも少なくない。被災地ではさまざまな援助機関が活動を行っているが、支援が十分に行き届いていない地域が点在している。避難所の衛生状況は悪化し、感染症拡大などの2次的な災害が懸念されている。
簡素な建物に…
ハイチの人口は約960万人。生計を立てられない地方の住民が都市部に流れ、首都ポルトープランスには200万人以上が人口過密状態で暮らしていた。その多くはブロックで積み上げた簡素な建物に住んでいた。犠牲者のほとんどは首都圏の倒壊した建物の下敷きになった人々だ。脆(ぜい)弱(じゃく)なブロックの住居、そして震源地が人口が密集した首都から約15キロしか離れていなかったことが被害を拡大させた。
過去にさかのぼれば、同規模の大地震がおきたのはおよそ250年も前のこと。耐震性のある建築物はごくわずかで、人々の防災意識は低かった。毎年のようにハリケーンや豪雨が本土を襲い、洪水によって多くの被害が出ていたが、その対策さえも十分ではなかった。
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多くの被災者がテント暮らしを余儀なくされている |
長期支援不可欠
ハイチは国民の約半数が1日に1ドル以下で生活し、世界で4番目に栄養不足人口の割合が多い最貧国の一つである。食事は1日に1食だけ。今日どうやって子どもたちに食事を食べさせてやれるか。そんな状況の中で、目の前にある木を伐採し炭を売り、市場で食料を購入する。
ハイチは山が多い国だが、大部分がはげ山になり、森林はすでに国土の約1・4%しか残っていない。むき出しの土地は強烈な直射日光にさらされ、雨によって表土は流されていく。農業に適した土地は急速に減少していった。
4月は雨季が始まる播(は)種(しゅ)期。3月、当地を訪問した国連食糧農業機関(FAO)のジャック・ディウフ代表は、被災地で種の配布を行うとともに、農業のための植林の重要性を訴え、植林事業をFAOの最優先分野とすることを決定した。復興には10年以上かかるといわれ、長期的な国際社会の支援が不可欠である。
国民の6割を占める農民たちは、災害の悲しみを乗り越え自分たちの手で生きていくために畑を耕し始めている。植樹した木々が高く成長していくとともに、ハイチの復興も着実に進んでいってほしい。
(つづく)
(新聞「農民」2010.4.5付)
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