私と農業
働く喜び感じる世の中に
全国労働組合総連合(全労連)副議長 柴田真佐子さん
私は群馬県甘楽(かんら)町の養蚕農家の出身です。富岡製糸場にも近い、養蚕の盛んな地域です。もちろん、田んぼや畑もありましたし、牛や豚、やぎ、鶏、うさぎなど、家畜も飼育していました。お米は出荷して現金にするので、麦も作り、うどんが主食でした。
養蚕農家によくある大きな2階建ての家で、5月になると、家中の畳を上げて蚕を育てました。とくに蚕がまゆをつくるときは、猫の手も借りたいほど忙しい。私が子どものころは蚕を1匹ずつ手でひろっていましたので、一家総出で夜遅くまで作業しました。
そんな苦労をしても、輸入自由化でまゆの値段は下がり、やっていけない。こんにゃくも下がる。「次は養鶏だ」と言われ、大きな鶏舎が次々に建った時期もありますが、やっぱり食べていけない。農業政策はほんとうにいい加減だと、身をもって感じてきました。
学校給食を守れ
埼玉県新座市で小学校の教師を32年間務めました。学校給食は自校方式で、地場産の農産物を取り入れ、子どもたちもグリーンピースの筋をとったり、トウモロコシの皮をむいたり、とても楽しみにしていました。「食べることは生きる力になる」と考え、授業でも意識的にとりあげました。
ところが、私が市の教職員組合の委員長だったときに給食の民間委託が計画され、反対の大闘争をやりました。栄養士さんや調理員さんといっしょに学校区ごとに学習会をやって、署名活動も駅頭やスーパーの前で何回も取り組み、半年ほどの間に14万市民から5万筆の署名を集めました。民間委託はされましたが、お母さんたちも「子どもにとって食とはなにか」を考えるきっかけになったと思います。
農業を始めた夫
夫が退職して、農業を始めました。週の半分くらいを群馬で暮らし、父に教えてもらいながら、私の実家の田んぼや畑を耕しています。米づくりはむずかしいといってますが、野菜はいろいろなものをだいぶうまくつくれるようになりました。いまの季節は下仁田ネギがとてもおいしい。
田植えと稲刈りは、息子や妹一家も参加して、一族総出でやっています。朝5時からみんなで田んぼに出る。父も喜ぶし、家族にとって大切な一日です。
田畑は守りたい
いま、労働者は働いても生活できない賃金を押しつけられています。農家も働いても営農が続けられない。このままでは農業をやる人がいなくなり、田畑や山林は荒れていくばかりです。働いたら生計を立てられる、働く喜びを感じながら生活できる世の中にしなければいけないと、強く感じています。
バイオテクノロジーのような技術ばかり注目されますが、食べものは太陽や土とかかわってつくっていくことが大事なのではないでしょうか。
まだ退職後の生活までは考えていませんが、実家の田畑は荒らさないように守っていきたいです。
(新聞「農民」2010.3.8付)
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