「農民」記事データベース20100201-910-10

本の紹介

吉岡吉典 著
「韓国併合」100年と日本


朝鮮半島への侵略と植民地支配
解き明かした“渾身の遺作”

画像 本書は、昨年3月1日、「韓国3・1独立運動90周年記念の文化交流の旅」の途中、ソウルで急逝した吉岡吉典氏(元日本共産党参議院議員)の“渾(こん)身(しん)の遺作”です。

 東南アジア侵略の野望は、秀吉の朝鮮侵略にさかのぼる

 2010年は「韓国併合」から100年にあたります。日本に一番近い国であり、日本に仏教や文字を伝え、衣食住に絶大な影響をおよぼした国が、なぜ遠い国となっているのか。

 本書は、その原因の一つが、400年前の豊臣秀吉による朝鮮侵略(1592〜98年)にさかのぼると説いています。日本では豊臣秀吉を太閤と呼び、下層民から天下人にのぼりつめた立身出世の英雄として描かれていますが、韓国では朝鮮半島を侵略し、計り知れない災厄をもたらした残虐非道の人間として位置づけられ、まったく逆の評価になっています。

 吉岡氏は、佐賀県唐津市にある名護屋城博物館や大阪城、熊本城などを訪ね、歴史の事実を検証していきます。そして決定的な証拠として取り上げたのが、慶(きょう)念(ねん)の「朝鮮日々記」です。1597年、大名の命令で医僧として朝鮮に従軍した安(あん)養(にょう)寺(じ)(大分県臼杵市)の住職、慶念は、殺(さつ)戮(りく)、略奪、焼打ち、人さらいなど地獄絵そのものの日本軍の残虐な行為を赤裸々に描いているのです。

「韓国併合は植民地支配下で強制されたもの」と村山首相に認めさせた国会論戦

 明治政府になると、征韓論に代表されるように朝鮮への干渉が始まります。それは、明治政府のなかに、朝鮮や中国、フィリピンなどへの侵略を説いた吉田松陰の思想を受け継ぐ要人や軍人がいたからです。1910年、「韓国併合」した直後に初代朝鮮総督となった寺内正毅は祝宴の席で「小早川、加藤、小西が世にあらば、今宵の月をいかに見るらむ」との歌を披露し、「豊臣秀吉が果たせなかった夢を果たした。3武将が生存して入ればさぞ喜んでくれただろう」と詠んだのです。

 そして問題は、1945年、日本の敗戦によって「韓国併合」の過ちがただされるべきにもかかわらず、それがなされなかったことです。1965年、「日韓条約」締結の際、当時の佐藤栄作首相は国会で「併合は対等な立場、自由な意思で結んだ条約」だったと答弁し、韓国をはじめ東南アジア諸国からきびしい批判をあびました。この政府の見解をくつがえしたのが、吉岡氏でした。

 1995年10月5日、吉岡議員の国会質問に対して、当初、村山首相は従来の答弁を繰り返していましたが、10月17日に「日韓併合は対等な立場、自由な意思で結んだ条約だと、ソウルの街頭で演説したらどうなるのか。できる人がいるのか」と鋭く追及すると、村山首相は「植民地支配のもと、対等・平等の立場で結ばれた条約ではなかった」と答弁したのです。吉岡氏の30年に及ぶ執念が実った瞬間でした。

 吉岡氏は「日本が1日も早く、朝鮮・韓国に対する侵略と植民地支配をきれいさっぱり清算した国になるべき」と結んでいますが、本書を読んで、「韓国併合」から100年にあたる2010年を大きな前進の年にしなければならないと痛感しました。

(埼玉県農民連 松本慎一)

▼定価 2000円(税別)
▼新日本出版社 TEL 03(3423)8402

(新聞「農民」2010.2.1付)
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2010年2月

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