コツコツ耕す父の姿が私の誇り
弁護士・反貧困ネットワーク代表
宇都宮 健児さんに聞く
宇都宮 健児(うつのみや・けんじ)
1946年、愛媛県の漁村に生まれる。その後、一家は大分県国東半島に開拓農家として入植。1969年、東京大学法学部中退、司法修習生。1971年弁護士登録。1970年代末から、サラ金被害、多重債務問題に先駆的に携わる。現在、反貧困ネットワーク代表など。『大丈夫、人生はやり直せる―サラ金・ヤミ金・貧困との闘い』(新日本出版社)ほか著書多数。
「反貧困」のたたかいで知られる宇都宮健児弁護士は、開拓農家の出身。生き方の原点には、お父さんの働く姿があるといいます。
派遣村で貧困が目に見える形に
――東京・日比谷公園の「年越し派遣村」から1年になります。宇都宮さんは名誉村長でしたね。
08年秋のリーマン・ショックの後、「派遣切り」が進み、寮や社宅を追い出されて野宿を余儀なくされる人が大量に生まれました。年末年始はその人たちの生命も危うい状況で、「手をこまねいていていいのか」「我々でできることをやろう」と始めたのが派遣村のとりくみです。労働組合の人たちや反貧困ネットワークのような市民団体、弁護士など、幅広い人たちが参加しました。
最初は、ああいう展開になるとは誰も考えなかったと思いますが、最終的には505人が入村しました。貧困を目に見える形にしたという点で、あの「派遣村」は象徴的なとりくみになりました。
温かい支援で入村者を励ます
――農民連も食料を提供するなどの支援をしましたが、ボランティアの人もすごく多かったですね。
全国から1692人が駆けつけました。温かい気持ちをもった人がたくさんいることに、私は希望を感じます。入村者も、ボランティアに励まされて、「もう一回がんばろう」という気持ちになった人が多かったのではないでしょうか。
「サラ金3悪」規制の立法化進める
――宇都宮さんは、サラ金問題に長く携わってこられましたが、貧困とのたたかいも同時にすすめてきたのですか?
いいえ。私がサラ金問題に取り組みはじめた1980年ごろは、ほんとうにひどい状況で、「サラ金3悪」といわれました。まず、年100%くらいのたいへんな「高金利」。それから、低所得者にも返済能力を超えて貸し付ける「過剰融資」。そして、返せなくなると夜討ち朝駆けで「過酷な取り立て」をやる。
目の前の相談者だけでなく、その背後に何十万人、何百万人という被害者がいるわけですから、その人たちを救済するために、この「サラ金3悪」を規制する立法運動をずっとやってきました。
ようやく2006年に、高金利を容認してきた「グレーゾーン金利」の撤廃、年収の3分の1を超える過剰融資の禁止という画期的な法改正が実現し、法的な規制としては、やるべきことをほぼやりきったと思います。
ところが、高利の借金に頼ってきた人たちの「貧困」の状況は、それだけでは改善できないのです。借りる理由は低所得とか、病気とか、失業とか、中小零細業者であれば事業資金などですから、高利を規制しても、「お金が足りない」ということになれば、今度は「ヤミ金融」の被害に遭うわけです。非合法のもっとひどい高利貸しです。
ですから、根本的な解決のためには、高利に頼らなくてもいいようなセーフティーネットをつくらなければいけない。そのためには、貧困問題を解決するさまざまな活動が要請されるということがわかってきました。
「貧困」というのは、日本の社会のあり方の問題ですから、今まで以上に幅広い人たちと結びついて、大きな運動をやらないと解決しない、底の深い問題です。
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日本の貧困を目に見える形にした1年前の「年越し派遣村」 |
被害者の救援が私の生きがいに
――宇都宮さんは一貫して弱い者の側に立って活動してこられました。その生き方を支えてきたものはなんでしょうか?
サラ金問題とめぐり合ってからは、被害者を救済することで「死なずにすみました」とか「年が越せました」と感謝される。それが私自身の生きがいになっています。
そして、貧しい開拓農家の生まれという生い立ちも大きいと思います。
私の父は、10年も戦争にいって、最後は負傷して帰ってきました。戦後は、不自由な足を引きずりながら半農半漁で生計を立て、40歳から開拓に入って、愚痴も言わずにコツコツ働いて子どもたちを育てました。魚釣りや、いもや麦、スイカなどをつくるのがうまい。そういう父の姿は、いまでも私の誇りです。
食料つくるのは最高の仕事です
――いま、農家が誇りを持ちにくい現実もあります。
朝、太陽とともに畑に出て、日が暮れるまで自然と格闘して、そして、つくったものがみなさんに喜んでもらえる。食料をつくるというのは最高の仕事だと思います。
心配なのは、実家の周りを見ても、後継者がいないことですね。実は、私も長男ですから、ほんとうは跡を継がなくちゃいけないんです。出稼ぎで弁護士をやっていますが…。(笑い)
実家でつくっているみかんは、輸入自由化で暴落して、それだけではやっていけません。農業や漁業は人間の生活をいちばん底で支えているすばらしい仕事なのに、それが経営として成り立っていかないことにすごく矛盾を感じます。農家が自分たちの仕事を生かして、生活ができて、後継者もできる。そういう社会にしなくてはいけないと思います。
(新聞「農民」2010.1.11付)
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