『北の反戦地主 川瀬氾二の生涯』を読んで
北海道・別海町農民組合書記長 岩崎和雄
「根っこの生えたたたかい」を
引き継ぐ決意を新たにした
北海道東部、別海町と厚岸町にまたがる日本最大の自衛隊演習場=矢臼別演習場のど真ん中で、農地の売り渡しを拒否してたたかいつづけた川瀬氾二さんが、今年4月、82年の生涯を閉じられました。
その川瀬さんの生涯を描いた『北の反戦地主 川瀬氾二の生涯』が出版されたので、さっそく読んでみました。牧草の一番草刈りで忙しい時期でしたが、一気に読み切ってしまいました。ページをめくるたび、これまでの川瀬さんとのかかわりが走馬燈のようによみがえってきました。
私が川瀬さんと初めて会ったのは、今から40年前、私が農業高校2年生のときで、高校の先輩や先生に誘われて、初めて参加した矢臼別平和盆おどり大会でした。当時の矢臼別演習場は、町道も走っていて、一般の人も立ち入ることが自由で、抗議活動も演習場内に入って行われるなど、今日とはずいぶん違った状態でした。一方で、平和盆おどりの会場までの道路に立てたのぼりが何者かによって外される違法な妨害など、高校生だった私にとって、矢臼別闘争は激しいものと感じられました。
その矢臼別で国と真っ向からたたかう2人の地主の第一印象は、雄弁な杉野さんと、とても「反戦地主」という闘士には見えない、もの静かな川瀬さんでした。その後、1人は矢臼別を去り、残ったのは川瀬さん一家だけになってしまいました。ただでさえきびしい矢臼別に一家だけとなってしまったのです。
矢臼別で暮らす厳しさは、同じ別海町内でも他の地域とまったく違います。道路や電気、電話は整備が進まず、遅れて整備されても十分ではなく、他の地域でふつうにできることができないのです。農業を営む苦労はなおさらのことです。
その厳しい土地で、川瀬さんがこれまで頑張ってきた原動力は何だったのでしょう。本人に聞いたことはありませんでしたが、本書を読んでみて、その答えの一端がうかがえました。川瀬さんは、厳しい矢臼別で質素にこつこつと仕事をし、「ここに居たい」と矢臼別の自然の中で暮らしを守ってきたのです。その心情が伝わってきて、本当の意味での根っこの生えたたたかいだったんだと、あらためて思いました。
私も矢臼別演習場に反対するたたかいにかかわってきた一人として、自分自身の立脚点を再確認し、これからの運動に生かしていくことが必要だろうと思います。
矢臼別には、日本国内にとどまらず世界各地の平和を願う人々が訪れ、運動を支えてきました。今年も、8月8日に第45回平和盆おどり大会が行われ、たくさんの人たちが集まって、川瀬さんのたたかいを引き継いでいく決意を新たにしました。矢臼別の運動が日本と世界の平和運動の一助になれるとしたら、地元の一員としてうれしいことです。
本書を読んだ方もこれから読まれる方も、機会があれば矢臼別を訪れて、川瀬さんの生き方の一端を自分の目と耳でじかに感じ、それぞれの矢臼別闘争に参加していただければと思います。
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問い合わせ 高文研 TEL 03(3295)3415 1680円
(新聞「農民」2009.8.24付)
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