「日本の伝統食を考える会」会長宮本智恵子さんを偲(しの)んで農民連元代表常任委員 小林 節夫
「日本の伝統食を考える会」代表の宮本智恵子さんが、7月7日、亡くなられました。惜しい方でした。 初めてお目にかかったのは、農民連結成の間もないころ、当時、全農林東京地本委員長だった小池信太郎さんといっしょに大阪食農府民会議の人たちと交流懇談に出かけた時でした。
宮本さんの先駆性お聞きすると、「日本の伝統食を考える会」は既に1982年に発足していたのでした。日本人の胃袋を米から小麦に変えようというアメリカの食糧戦略が始まってから30年にもなるのに、その間、農民運動は全国的なたたかいもしないできたのです。その上、ガット・ウルグアイラウンドで農産物の総自由化が進められている情勢で、情けない状況でした。 そういう時期に、消費者・国民的な立場から宮本さんは「日本の伝統食を考える会」を立ち上げたのでした。全国食健連ができる8年前のことです。
アメリカン・トレインとのたたかい1988年7月4日、アメリカの独立記念日でした。牛肉・オレンジの輸入自由化を記念して、アメリカン・トレイン(以下、アメトレ)が東京・JR原宿駅の天皇のお召し列車専用ホームで、星条旗を車体に描いて開幕し、それを皮切りに、JR東日本の各地の駅で、牛肉・オレンジの大宣伝を展開したのでした。 農民連はまだ発足しておらず農民懇のころでしたが、「これは第2のキッチンカーだ」と位置づけて、「停車駅では、たとえ一人でもたたかわなかったという歴史は残さない」という意思統一をして、全農協労連や日本母親連絡会、新日本婦人の会の人たちと共同してたたかい、とうとう茨城、千葉では中止に追い込みました。計画が狂い、急きょ軽井沢駅で開催しましたが、このことは佐久食健連を作るきっかけとなりました。
伝統食列車でアメトレに対抗全国食健連が結成されたとき、宮本さんは「向こうがJRを使うなら、こちらもJRを使って伝統食列車を走らせよう」という、誰も考えつかなかった、斬新な地方の郷土食ツアーの構想を呼びかけました。アメトレが終わっても、日本人の胃袋を変えようというアメリカの食糧戦略と策謀は続く――宮本さんは力強く訴えたのでした。
消費者にも農民にも、連帯と誇りと自覚を与えた伝統食列車の中で学習し、現地では多様で豊かな郷土食が用意され、迎えた人たちも改めて自分たちの食と農の値打ちを見直し、農家の女性たちも大変でしたが、誇りと自覚を持つ機会にもなりました。それは、その後の草の根運動に確かなものをもたらしたのではないでしょうか。宮本さんは、食い倒れの街・大阪から日本中を駆け巡りました。これからは“千の風”になって日本の大空を駆け巡り、星になって、日本の伝統食を守る運動を見守っていただきたいと祈っています。
(新聞「農民」2009.8.3付)
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[2009年8月]
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